遺伝から見た日本人 ~天皇はどこから来たか~
今回は、遺伝学の観点から日本人の由来を考えてみたい。 まず、《DNA分析による日本人形成》は、1万年以上前の原始日本人の来歴を考えるのに役立つ。日本全土に内陸系(北方系)のユーラシアンがまずありき、これが日本人の第1基層。これにBC12000頃からオーシャノイドの文化と人々が入って縄文が誕生、これが日本人の第2基層。 だが我々が問題にしている原始ヤマト民族は、このあとに入ってきた弥生時代以降の人々と言ってよかろう。ただし、一般に言われている弥生時代よりも早く、紀元前600年くらいまでは遡っていいかもしれない。 その時代について考えるなら、《過去ログ158》もなかなかおもしろい。 尾本恵一郎が作った「耳あかのドライとウエットの分布」では、両者の比率は日本人とモンゴル人がほぼ一致しており、朝鮮人はむしろ北中国に近い。よく見ると、北中国人、朝鮮人、ツングース人は段階的に比率が移動して、いわば一本のベルトの流れのように見えるが、その両側には日本人と蒙古人というほぼ同じ比率の民族がいるのである。 もともとモンゴル西部にいた原始ヤマト民族が、分離して日本に到達したのだろう。天皇はこのルートをとって日本にやって来たと思われる。しかし、その移動の後に朝鮮人が華北や朝鮮半島に進出してきたという可能性は低い。むしろ原始ヤマト民族は、朝鮮人が住む半島を単に通過しただけだろう。そして、後ろのほうでのろのろしていた一部の原始ヤマト民族が朝鮮人や華北の中国人と混血したか、あるいは、日本に到着してから朝鮮人を受け容れたので多少似てきたという面があるのだろう。HLA遺伝子でみると、日本人の10%が持っている「24,52,2」は、中国南部にはないが、北京付近では、2%、韓国では3%あることがわかった。また、国内では北九州から近畿地方が14%と高かった。中国北部から朝鮮を経て北九州へという人問集団の流れがあったことを意味する。「33,44,13」という組み合わせは日本で6%だが、北京周辺、韓国にはほとんどない。日本全体では4%だが、台湾、沖縄、南九州で4%から8%、四国が11%、近畿が7%と、太平洋側に偏っている。同じ中国南部からの渡来と思われる「2,46,8(または9)」は、沖縄にはほとんど見られず、直接または朝鮮経由で日本に来た可能性が強い。中国南部では10%もあり、韓国にも2%。西日本は5~7%程度だ。 もし天照大神の宗教が中央アジア――もっと限定すれば、アラル海に流れ込むアム川の上流――で成立したのなら、そこからインドを経由して中国南部に進み、さらに海を渡って日本にやって来た原始ヤマト民族の分派がいた可能性がある。リーダーは同じ種族でも、途中で混血していくから遺伝的には北方系日本人と南方系日本人に分かれるが、同じ太陽神を信仰していたとすれば、両者の統合は比較的簡単だったはずである。 あまりにも壮大な話になってくるので、まあ、ファンタジーとしてお付き合い願えればと思う。「天皇はどこから来たか?」目次へ 人気blogランキング↑この記事が役立った方、またはこのブログを応援してくれる方は、是非こちらをクリックしてください。無料メルマガ『皇位継承Q&A』創刊!登録はこちらからそして、皇位継承問題に無関心な知人の方にもご紹介・ご推薦いただけると幸いです。↓ネット世論はこんな感じ。《皇位継承あなたの意見は?》 私の第2ブログ「時事評論@和の空間」もよろしく これからはしばらく皇位継承に関する記事の連載です。この問題は未来の日本のゆくえを左右するほど重大な問題ですので、いままで以上に力を入れて書きます。ぜひ御覧ください。 目次 ブログ散策:天皇制の危機 も合わせて御覧ください。 ブログをもっている人は、ぜひ女系天皇反対をアピールしましょう。一人でも多くの人の目に触れて広く国民に注意を喚起することが大切です。