ひめゆり入試問題の歪曲報道
この報道がかなり歪曲されていることは6月11日に述べた。この青山学院高等部入試問題の和訳も掲載しているので、まずはこれを御覧になってから先を読んでほしい。 以下の記事で、「ひめゆりの塔に向かい、花束をささげる青山学院高等部の大村部長(右)ら=13日午前10時半、沖縄県糸満市で松藤幸之輔写す」となって写真が掲載され、さらし者になっているが、彼らは歪曲報道の犠牲者である。写真まで掲載すべき記事ではあるまい。ひめゆり入試問題:青学高等部長らが元学徒訪れ謝罪へ(毎日新聞 2005年6月13日 11時30分)大村部長は謝罪を前に報道陣に「申し訳ないの一言に尽きます」と語った。 報道陣はこれをやらせたかったのであって、JR西日本の記者会見でのヒゲ記者の頃と何も変わっていない。むしろ原文をもとに詳しく尋ねて彼らを擁護する記者は一人もいなかったのだろうか? そういう記者会見もじつに恐ろしいものである。 問題となったのは今年2月にあった入試の英文読解。戦争体験を伝えることの難しさを考えさせるのが狙いで、英語教諭が以前に沖縄を訪れた体験をもとに作った。 ここだけはまともな報道である。だが、この英語教諭がほんとうに退屈だと感じたかどうかもはっきりしない。現代風の学生ならこう感じるかもしれないと思って創作した可能性もある。 入試問題には、沖縄のガマ(壕(ごう))に入った生徒が、元学徒の体験談を聞いたとき「退屈で飽きた。彼女が話せば話すほど、私は防空壕で受けた強い印象を失った」と感じたことが書かれていた。 この表現だけでは、問題のなかの少年の防空壕での強烈な恐怖体験が新聞読者に伝わらない。そして、この恐怖との対比のなかでこそ、ひめゆり学徒隊の体験談が(おそらく彼女たちが穏やかな話ぶりだったので)「退屈な」感じを受けたのだろう。 原文では前置きとして「ほんとうのことを言うと(to tell you the truth)」と、あまり公にすべき意見ではないことを暗示している。まさかこれを「彼女の話が退屈なのは真実だ」という意味にとったんじゃあるまいな。(^^ゞ Macmillan English Dictionary によれば、この句は“used for admitting something, or for saying what you really think about something”と説明されており、「正直に白状するとさあ、あれは退屈だったんだよねぇ~。(^^;」という意味である。 さらに、「私にとってそれは退屈」だったといって決して普遍化していないし、「私は、彼女の体験談には何の意味もないなどとは言うべきでない。」とまで丁寧に付け加えている。こういうことをスッポリ落とした状態での非難であって、むしろ報道のしかたにこそ問題がある。 「『未来永劫(えいごう)、平和が続きますように』が学業半ばで戦争に巻き込まれた『ひめゆりの心』。こういう問題が出ると今までやってきたことの意味を考え込まざるを得ない」などと反発と戸惑いの声が上がっている。 いや、問題出題者も、「未来永劫、平和が続くように」するためにはどう伝えていくべきかを考えてみようと問題提起をしたのである。彼女たちのこれまでやってきたことは戦争体験者としては正攻法だと思うし、戦後世代の新しい模索を否定しないかぎりで正しいと思う。 この入試問題は、ひめゆり学徒隊の語りが間違いだとは言っていない。むしろ、戦争体験者はあと20年もしないうちに完全にいなくなってしまうのだから、実体験に基づく話ができない戦後世代はどうやって伝えればいいのだろうか、今のうちによく聞かなければならないのではないか。――そんなことを提起している文章だと言える。 はっきりいって、青山学院高等部にも不合格になるほど劣等な文章読解力をもった人が新聞報道をしているのではないかと疑われる。それとも英語が全くダメなのだろうか? こんな簡単な英語が訳せないのに新聞で国際問題まで扱っていて、ほんとうに大丈夫なんだろうか? 毎日新聞では、この後に、東京大空襲を語り継ぐ活動をしている人の話を載せている。この人にも入試問題の全文(和訳でもいいが)を見せてインタビューしたのだろうか? おそらく、マスコミの歪曲報道を前提にして「ひめゆり入試問題のことをどう思いますか?」と質問したに違いない。客観性の衣をつけて、歪曲報道を肥大化させている報道行為である。 この入試問題は、コミュニケーション(情報の伝え方)の難しさを考えさせる問題である。そして、今回の歪曲報道が、まさにその問題を実際問題として表わしていると思われる。 私は今回の歪曲報道が拡大されたならば、というより誤解が解かれなければ、彼女たちには申し訳ないが、これからは戦争について発言する時にひめゆり学徒隊に関してはもはや無視しようと思っている。こうやって歪曲されるようでは、下手にかかわると損をする。「さわらぬ神に祟りなし」と言うではないか。だが、これは彼女たちに責任があるのではなく、むしろ報道のしかたにこそ責任があるのだ。ただ平和主義を声高に叫べばいいというものではない。私のように拒否する人が増えてくるということは、新聞が自ら日本人の平和主義を浸食していることを意味するのだ。 毎日新聞は、百人斬り訴訟で虚報を流したと訴えられているが、昔の問題よりも今の報道姿勢のほうがよほど重要な問題である。べつに昔の虚報に過剰に反応して平和主義を声高に訴える必要はないのだから、せめて世間に誤解を与えるような報道はやめてほしい。 前回の私のブログ記事では、毎日新聞の記事を引用しているにもかかわらずあまりおおっぴらに批判しなかったのだけれど、やはりこうやって明確に批判的意見を書かねばならないようだ。私が朝日新聞に対して批判していることが自分のところにも当てはまる可能性があるということぐらい想像がつかないのだろうか? 私はすでにこの入試問題の和訳を、ひめゆり平和祈念資料館にメールで送っている。彼女たちがこれを見てから会うか見ずに会うかではだいぶ印象や応対のしかたが違うと思ったからである。こういう状況になっている場合は、青山学院高等部は社会形式上、謝罪せざるを得ない。だが、それを受ける側が誤解しているのと誤解していないのとではだいぶ違いがある。一方的な謝罪要求が謝罪を求められている人にどういう反応を引き起こすか、現在の日中関係を見れば明らかであろう。まさにコミュニケーションの問題なのである。〔 続きはこちら 〕人気blogランキング↑この記事がおもしろかった方、またはこのブログを応援してくれる方は、是非こちらをクリックしてください。★☆サマータイム反対のメールを地元国会議員に送ろう☆★・・・サマータイム反対よりもサマー反対と言いたいところ。今日は暑い。A(^^;;;;〔おすすめブログ記事〕朝日新聞に降伏した読売社説を祝福する(笑)(書評日記 パペッティア通信 2005年6月6日)朝日新聞虚偽捏造記事を論破する(おやじのページ 2005年6月10日)書の色紙(和)p(^o^) 和の空間 のショッピング(楽天市場でお買い物)