道鏡について(1)皇胤説の史料
日本三大悪人の一人にも数えられる道鏡だが、彼は弓削氏という臣下の分際で天皇になろうとした野心家だったのだろうか。いくら称徳天皇(孝謙天皇)が道鏡を寵愛したからといって、おそらくは神別氏族である物部連の血をひく弓削氏の人間が、そう簡単に天皇になれる寸前のところまでいけたのだろうか。太政大臣までならあり得ただろうが、臣下の最高位と天皇の位では、決して越えられない天地の差がある。 そこで注目しておきたいのが道鏡皇胤説である。 《道鏡(ウィキペディア)》によると、皇胤説の根拠として『僧綱補任』、『本朝皇胤紹運録』などがあり、『公卿補任』でも一説としてあげているが、太田亮『姓氏家系大辞典』では、天智天皇皇孫説を誤りと断じている。 《京都大学附属図書館所蔵 平松文庫 『本朝皇胤紹運録』 [v.1,21/52] の該当部分画像》。 この系図によると、施基皇子の子には、光仁天皇(白壁王),湯原親王,海上王,榎井親王,春日王,壹志王,弓削朝臣浄人,尾張女王,道鏡法師がいたことになる。 また、高山寺所蔵『宿曜占文経』裏書(宿曜占文抄?)によると、「道鏡 天智天皇孫 ●●王第六子 河内国弓削氏 西大寺法相宗人也」とある。字が判読できない●●は施基(親王)に相当するが、おそらく「志基」と書かれていたのだろうと思われる。(以下の画像は『NHK歴史発見13』17頁より)↑クリックすると拡大します。 〔道鏡に関する参考サイト〕《日本三大悪人・弓削道鏡の汚名を晴らすサイト(前半)》《日本三大悪人・弓削道鏡の汚名を晴らすサイト(後半)》《書誌紹介:根本誠二著『天平期の僧侶と天皇』》《道鏡ゆかりの地》人気blogランキング↑このブログを応援してくれる方は、是非こちらをクリックしてください。「p(^o^) 和の空間」の Window Shopping<日本人なら“和”にこだわりたい> 《「天皇はどこから来たか?」連載中》 ツイッターも始めてます。http://twitter.com/Sakurai_Waqoo 私の第2ブログ「時事評論@和の空間」と第3ブログ「浮世[天(あめ)]風呂 @和の空間」もよろしく。ついでにこれも→(笑)無料メルマガ『皇位継承Q&A』登録はこちらから 目次 ブログ散策:天皇制の危機 も合わせて御覧ください。