切符(2) ~雑誌『NHK短歌』2007年6月号より
川野里子選の佳作より。改札機に切符は吸われ君といた時間も吸われて札幌を発つ北海道新十津川町 三浦美香 切符がひゅっと吸い込まれていくあの感じは、ほんとうに何かを抜き取られるような感じがする。あそこを通ると一瞬のうちに別の世界に押し出されたかのような感じも時にはある。生まれ変わったというと大げさになりすぎるが、何かが分断されたよう感じがある。それを「時間も吸われ」と表現したのはなかなかうまい。「切符買う君を遠くに見掛けた。」と一年前の日記読みをり愛知県蒲郡市 酒井賀代 これも青春だなあと思う。(^^ゞ どうでもいいことでも、何かつながりがあると嬉しくて記録してしまうのだろう。一枚の切符に未来を賭けにし日 爾来言わざる「もしも」「あるいは」仙台市太白区 小林ふさ子 この作者は、この賭けには完全に負けたのだろうか。人は、賭ける前はあれこれと想像をめぐらす世界に住んでいるが、賭けてしまったならばその後は現実しかない。旗艦三笠の水兵帽子に亡き父が忘れし切符いまだあたらし浜松市中区 仲村正男 この亡き父は旗艦三笠に搭乗していたのだろうか。「あたらし」という言葉も手伝って誇らしさのようなものが伝わってくるのだが、気のせいかな?おそらくは片道切符と知りしかや 南の海に眠れる伯父は鳥取県琴浦町 中村麗子 この人の別の歌には、観念的だとケチをつけたことがある。《→こちら》 まあ、こういう背景があったなら、それも含めてあの歌を読み直さなければならないのだが、この歌も伯父の心理を忖度するという形で深みを出している。この伯父の気持ちは、それを想像する人によっていろいろ違うのである。その親、その配偶者、その友人、その子、そのはるか末代の子孫・・・。他者の状況を単に客観的に描写するだけで、作者の心に思い描かれた内容以上のものが歌から読み出されることがある。またケチをつけてしまったみたいだ。(^^; ところで、南方戦線に送られた人々は、特攻のように必ずしも片道切符と決まっていたわけではない。帰って来なかったから片道切符と事後的に思っているだけかもしれない。戦争の場合は特にそうなのだが、そもそも人生はいつも片道切符なのではなかろうか。戻ってなんか来られない。たとえ往復切符で故郷に戻ってきても、自分の過去には戻れない。・・・と書いていて、ふと一首浮かんだ。人生はいつも片道切符なり 過去へと戻る道の途絶えて桜井和空なんかカッコイイ。(^^ゞ《『NHK短歌』のホームページ》人気blogランキング↑この記事が面白かった方、またはこのブログを応援してくれる方は、是非こちらをクリックしてください。「p(^o^) 和の空間」の Window Shopping<日本人なら“和”にこだわりたい> 《「天皇はどこから来たか?」連載中》 私の第2ブログ「時事評論@和の空間」と第3ブログ「浮世[天(あめ)]風呂 @和の空間」もよろしく。ついでにこれも→(笑)無料メルマガ『皇位継承Q&A』登録はこちらから↓ネット世論はこんな感じ。《皇位継承あなたの意見は?》 目次 ブログ散策:天皇制の危機 も合わせて御覧ください。