テーマ:映画館で観た映画(8576)
カテゴリ:映画
キッチンという名の牢獄 ・・・名前を持たない「妻」と「夫」の物語・・・ 妻が家事から解放されるのは、 自身が「穢れ」となる日だけだった。 インド南西部ケーララ州で、高位カーストの男女がお見合いで結婚する。 中東育ちでモダンな生活様式に馴染んだ妻は、夫の住む由緒ある邸宅に入り、姑に導かれて家事のあれこれを学んでいくが、ほどなく姑は嫁いだ娘の出産準備のため家を離れる。 彼女は一人で家事全般を受け持つことになる。 さらに、早朝からの家事労働で消耗していても、夜には夫の求める身勝手なセックスを拒むことができない。 そうした重荷から逃れられるのは、皮肉にも生理の期間だけ。 しかしそれは、彼女が穢れた存在と見なされる数日間でもあった。 若い女性が家父長制とミソジニーに直面して味わうフラストレーションをドキュメンタリー風に描いたドラマ。 伝統的ヒンドゥー社会での“穢れ”観にもメスを入れ、多くの議論を巻き起こした話題作。 これは本当に映画だろうか、これは現実そのものではないか―。 娯楽を求めて再生ボタンを押した観客の多くがこう自問自答したという静かな衝撃作品『グレート・インディアン・キッチン』。 コロナ禍のため映画館が休館していた2021年1月のインド。 多くの新作映画が配信公開に踏み切り、本作も地域言語専門の配信サービスでひっそり公開された。 一部のシーンがセンシティブな宗教問題に触れていたため、炎上を恐れた大手配信会社には拒絶されたからだ。 だが、配信が始まるとSNS上には作品への共感があふれ、徐々に大きな旋風となっていった。 反響を受けて配信大手アマゾン・プライムビデオがインド国内外に向け配信を開始すると、BBCでは「家父長制の暗部を見事に切り取り、日々の暮らしに潜むおぞましさに光を当てた作品」と大きく紹介された。 舞台のケーララ州は識字率の高さで知られ、女性の社会進出も進み、後進的な地域ではない。 だがジヨー監督は、「彼女の苦悩は全インド人女性のものだ」と、本作のテーマの普遍性を語る。 家事労働と権力にまつわるジェンダー間のアンバランスの問題を、本作は歴史ある邸宅の薄暗いキッチンから社会に問いかける。 インド映画といえば、軽快な音楽や賑やかなダンスしか見たことがなかったが、「グレート・インディアン・キッチン」は、ドキュメンタリーのような映画だった。 来る日も来る日も、料理を作る妻。 姑が娘のお産の手伝いに行ってからは、たった一人で、夫と夫の父のご飯を作る。 日本だと、ご飯は炊飯器で炊くのが当たり前だが、夫の父は、炊飯器では不満。 洗濯も洗濯機では、服がいたむのが早いから、手洗いにするようにという。 歯を磨きたいから歯ブラシに歯磨き粉を付けて持ってこいだの日本では考えられないようなことを言う。 それにしても、下水に不具合があっても妻は時分から業者に連絡を取らないのはなぜだろう。 スマホもパソコンも普通に使っているのに・・・。 ダンスの教師をしていた妻は、働きたいというが、夫の父親が反対で、夫も反対。 内緒でダンス教師の職に応募するも夫に見つかってこっぴどく怒られる。 こんな家、出ていけばいいのに・・・と思っていたら出て行った。 離婚したのだ。 ダンス教師として、女性たちに教える元妻は、生き生きと暮らしていた。 夫は変わることなく新しい妻と同じ繰り返しをするだろうという展開が見えた。 グルメ番組のように始まり、やがて加速制度の暗部に切り込む「ホームドラマ」。 映画の中には■インディアンキッチンラック■が出てきた。 ヨーロッパのおしゃれなキッチンを紹介した雑誌で見たことがあるが、「インディアンキッチンラック」という名前のとおり、インドでは普通に使っているものみたいだ。 にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.01.29 00:02:18
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