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カテゴリ:映画
それでも踊り続ける。 世界的パンデミック禍、パリ・オペラ座も例外なく閉鎖。 ダンサーたちは、1日6~10時間踊っていた日常から突如切り離され、過酷な試練と向き合っていた。 2020年6月15日、3か月の自宅待機を経てクラスレッスンが再開。 かつてない状況下、 最高位のエトワールたちは、“オペラ座の宝”といわれる演目、ヌレエフ振付の超大作「ラ・バヤデール」の年末公演に向け稽古を重ねていく。 しかし、再びの感染拡大に伴い、開幕目前に無観客配信となり、初日が千秋楽となる幻の公演となってしまう。 心技体が揃う絶頂期が短く、42歳でバレエ団との契約が終了となる彼らにとって、それは落胆の決断であったが、そんな激動の中で新エトワールが誕生する―。 世界的なパンデミックというかつてない状況下での名門バレエダンサーたちの葛藤の日々と、新エトワール誕生までの軌跡を映しだすドキュメンタリー。 パリ・オペラ座から特別に許可を受けた監督のプリシラ・ピザートが、ダンサーたちが葛藤しながらもレッスンを重ね、振付師と協力してひとつの舞台を作り上げていく姿を追った。 一日休めば自分に分かり、 二日休めば師に分かり、 三日休めば観客に分かる・・・というバレエのレッスン。 毎日、6~10時間踊るという彼らにとって、3か月の休みは辛かっただろう。 自宅は狭いので、跳んだり跳ねたりできない。 レッスン場で早く跳んだり跳ねたりしたいけれど、まずストレッチ。 絶頂期が短く、42歳でバレエ団との契約が終了するために、一日一日が大事なのだ。 また、長い間休んだ後、必死に練習するのは、舞台に立つという目標があるから。 舞台がないのは、辛く、練習のモチベーションが下がる。 開幕直前に無観客配信となり、初日が千秋楽となる幻の公演となってしまう。 踊り終わって、挨拶をするも拍手のないのに気分が落ち込む。 バレエは、舞台の上のダンサーと観客によって成り立つとダンサーは言う。 バレエダンサーほどのことはないが、私たちも、コロナで、思うことがある。 それは、2020年から、今年まで、海外旅行に行けないこと。 5年後にコロナの特効薬が出来たとしても、 5年後、海外旅行に行く体力が残っているか疑問だ。 70歳を過ぎてからの1年は、貴重だ。 孫もそうだ。 彼は、今年大学生になった。 もし、コロナ禍でなかったら、今年の春休み、夏休みは、学生の特権として、海外旅行をしていただろう。 5年後にコロナの特効薬が出来ても、その頃は、彼はもう大学を卒業している。 本当にコロナが憎いと思う。 世界最古にして最高峰のバレエの殿堂として知られる。 150人以上のダンサーが所属、通常1年に180回以上の公演を開催している。 ダンサーには、最高位エトワール(主役のトップダンサー/「星」を意味する)、プルミエ・ダンスール(男性)/プルミエール・ダンスーズ(女性)(準主役級ダンサー)、スジェ(名前がつくような主要な役を踊るダンサー)、コリフェ(群舞の中の主役)、カドリーユ(群舞)と5階級がある。 このように徹底的なヒエラルキー制度がパリ・オペラ座バレエの特徴であり、プルミエまでの昇進は毎年行われる昇進試験の結果決定され、エトワールだけは芸術監督によって任命される。 ◆ルドルフ・ヌレエフ◆ 20世紀を代表するバレエダンサー、振付家。 1961年に旧ソ連から西欧に亡命、1983年にパリ・オペラ座バレエ団の芸術監督に就任。 多くの才能あるダンサーたちを育て、レパートリーを一新、パリ・オペラ座の礎を築く。 1993年に54歳で他界。 ◆マチュー・ガニオ Mathieu Ganio◆ パリ・オペラ座バレエの美しき貴公子、マチュー・ガニオ。 世界が認める「ダンスール・ノーブル」 (美しい容姿と高貴な雰囲気を兼ね備えた、「王子」役の似合うダンサーのこと)である彼の、気品に満ちた踊りはいかにして作られるのか。 マルセイユで生まれる。 両親とも世界的に著名なダンサーであり、母は元パリ・オペラ座エトワールのドミニク・カルフーニ 。 2001年パリ・オペラ座バレエ団に入団。 2003年スジェに昇進。 2004年に『ドン・キホーテ』のバジルを踊り、プルミエ・ダンスールを飛び越して、エトワールへと昇進。 両親譲りのスター性と美貌を兼ね備えたダンサー。 来日回数も多く、日本にもファンが多い。 ■動画『新章パリ・オペラ座 特別なシーズンの始まり』本編映像公開!■ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.08.27 00:09:12
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