テーマ:映画館で観た映画(8576)
カテゴリ:映画
■ぼくたちの哲学教室■ やられたら、やりかえす? それでいいの? 北アイルランド、ベルファストにあるホーリークロス男子小学校。 ここでは「哲学」が主要科目になっている。 エルヴィス・プレスリーを愛し、威厳と愛嬌を兼ね備えたケヴィン校長は言う。 「どんな意見にも価値がある」と。 彼の教えのもと、子どもたちは異なる立場の意見に耳を傾けながら、自らの思考を整理し、言葉にしていく。 授業に集中できない子や、喧嘩を繰り返す子には、先生たちが常に共感を示し、さりげなく対話を持ちかける。 自らの内にある不安や怒り、衝動に気づき、コントロールすることが、生徒たちの身を守る何よりの武器となるとケヴィン校長は知っている。 かつて暴力で問題解決を図ってきた後悔と挫折から、新たな憎しみの連鎖を生み出さないために、彼が導き出した1つの答えが哲学の授業なのだ。 北アイルランド紛争によりプロテスタントとカトリックの対立が長く続いたベルファストの街には「平和の壁」と呼ばれる分離壁が存在する。 1998年のベルファスト合意以降、大まかには平和が維持されているが、一部の武装化した組織が今なお存在し、若者の勧誘に余念がない。 争いの記憶は薄れやすく、平和を維持するのは簡単ではない。 その困難はケヴィン校長と生徒たちの対話の端々にも現れる。 宗教的、政治的対立の記憶と分断が残る街で、哲学的思考と対話による問題解決を探るケヴィン校長の大いなる挑戦を映画化したのは、アイルランドで最も有名なドキュメンタリー作家のナーサ・ニ・キアナンと、ベルファスト出身のデクラン・マッグラの二人。 およそ2年に及ぶ撮影期間中にパンデミックが起こり、インターネット上のトラブルという新たな問題が表面化するなど、子どもをめぐる環境の変化も捉えている。 ケヴィン校長と生徒たちによる微笑ましくも厳粛な対話がニコラ・フィリベールの『ぼくの好きな先生』を彷彿とさせ、国内外の映画祭で多くの賞を受賞した注目作! 汽車にのって」丸山薫 アイルランドのような田舎へゆこう ひとびとが祭りの日がさを くるくる回し 日が照りながら 雨のふる アイルランドのような田舎へゆこう この詩を習ったのは、中学校1年の時だった。 以来、アイルランドが気になってしかたがない。 1972年にイギリスにいて、そこからアイルランドに行きたいと思ったけれど、紛争が激く行くことができなかった。 その後も行っていなくて、だからか、アイルランドの映画は見るようにしている。 昨年は、■ベルファスト■を見た。 これも紛争を描いた映画だった。 映画の中で、エルビス・プレスリーが大好きな校長に導かれて、考え方を言語化する子供たち。 思っていてもなかなか言えない、日本に比べて、国民性なのか、それとも校長の指導がいいのか・・・。 ●「カトリック」と「プロテスタント」についての子どもの意見が面白い。 カトリックは、アイルランド人が多くて、プロテスタントはイギリス人。 二者の間には、言葉も違うという。 ●「カトリック」と「プロテスタント」の争いからはじまった紛争なのに、食事の時 「父と子と精霊のみ名によって・・・」って宗教の言葉を唱えるなんて私には分からない。 ●校長との対話練習の時は、素晴らしい平和への提言をする子どもたちも、休み時間になるとつかみ合いのケンカになる。 言うは易し、行うは難し。 ●まちのあちこちに、紛争の名残りが残っている。 「平和の壁」と呼ばれる分離壁が存在するが学校は、その壁のそばにある。 ●ホーリークロス男子小学校は、ベルファスト市北部、アードイン地区の中心地に位置するカトリック系の小学校。 4歳から11歳までの男子が通う。 日本の小学生にしては幼く見える子がにこにこしていたが、4歳だったのかと納得。 ●学校のある所は、密集する労働者階級の住宅街に北アイルランドの宗派闘争の傷跡が残る 混沌とした衰退地区であり、リパブリカンとユニオニスト(注1)の政治的対立により、地域の発展が遅れている。 (注1) アイルランド全島による共和国【リパブリック】独立派と、北アイルランドとブリテンの連合【ユニオン】維持派。 ●コロナ禍での学校が日本と違う。 映画の中では、学校にくると生徒は、手を消毒し、熱を計るが、生徒も先生もマスクはしない。 「さんみつ」など関係ない。 以上、思いつくまま、メモとして残す。 にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.06.22 00:00:50
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