ほめない子育て
最近、よく耳にする言葉がある。「こどもはほめない!」本を読んでいても・・・テレビをみていても・・・ネットでさまよっていても・・・な~んだか、目にしたり聞いたりで、ここポイント!そう思ってしまった。私の母は決してこどもをほめない人だった。「自分の子をほめるとは馬鹿者だ!」そう言い切っていた。でも私は母にほめてもらいたくて、母の言いつけを守っていた。まあ、守らないこともあったが・・・・子どもはほめて育てようって前はよく聞いた。だから褒められないで育った私は、自分に自信がなかったのだ・・・いつの頃からか、そんな風に思いこんでいた。だけど、褒めてこどもを育てると子どもは褒めてもらいたいがために良い子を演じるようになるのだと・・・・自分の行動を「ほら見て!」自分の行動の評価を気にする。褒めるのではなく、その子がしてくれたことに対して嬉しいとか、助かったと伝えるのがいいのだ。たしかにね~その子を認めることが大事なんだな~。ちょっと前まで褒めてたぞ・・・・私。なのでお手伝いをしてくれた息子達には「助かった~、ありがとう。」そう言うようにしている。自分が行動することによって誰かが喜んでくれることが嬉しい。誰かのために行動できるってすばらしい。私の母はそこまで思ってはいなかったと思う。ほめるとこどもはつけあがってしまう。そういう思いだったと思う。ほめてもらえなかった私。褒めてもらえなかったから、こんな歪んだ人間になったのだと思っていた。ずっと思い込んでいた。おかしなことばかり言う母だと思っていたが最近になってあながち間違ってないかなっておもうこともある。「目に見えないものを大事にしなさい!」これはずっと母が霊の存在を恐れて言っていたことだと思っていた。お寺に行ってはお祓いばっかりしてもらっていた。いつもいつも何か問題がおこれば祟りだとさわいだ。私も信じなくはないが、何でもかんでも原因をどこかに見いだそうとする母にうんざりした。いつも負のオーラを背負っている母と向き合うことができなかった。この人のようになりたくない。その気持ちが私をさらにつらくさせていったようだ。目に見えない物。言葉もそうだ。ご先祖様もそうだ。この肉体は紛れもなく先祖の血が流れている。ある意味、母が言った言葉は間違ってはいなかった。母が言った言葉の本当の意味がどうだったかはわからないが、言葉にまちがいはなかったようだ。母を嫌うあまりに私がちがう解釈をしていったのかもしれない。私たちは日々、思い込みという誤解の中で生きている。ただ私の思いが母を悪くしていったのかもしれない。この世ではわかり合えることがなかった。死ぬまで私は母を理解できることなどないと思っていた。絶対母がいなくなっても、後悔なんかしない、親孝行できなくて悪かったなんて思わない!母が亡くなるまでそう思っていた。今は正直、後悔している。娘にかわいがってもらえなかった親。自分がそんな立場だったら悲しい。母は悲しかっただろう。後悔はしない!これは私の口癖だが、このことは日が経つごとに母に申し訳なく思う。後悔を人のために役立てよう。もう自分にはこれしかない。生きているうちに親子の関係を大事にしたいものだ。最後に息を引き取るときには私しか家族がいなかった。亡くなってからも母の財布から私の携帯の番号をかいたメモがでてきた。三日坊主の残された母の日記。そこには私と長男とデパートに行って嬉しかった、とたどたどしい字でかかれてあった。それは私に対する感謝の気持ちだったのだろうか・・・今も時々メッセージをくれている母。姿がなくなっても気にしてくれているんだろう。褒めない子育てと聞いて母を思い出した。母自身も親から褒められたことがなかったのだろう。10人兄弟の第1子だった母。褒められないことも愛情だと思いたかったのか・・・そんなことも思わずがむしゃらに生きていたのかもしれない。毎日のようにかかっていた電話がもう1年以上もかからない。この世にはいないのだから当たり前だけど。「生きてるか?」母の電話のいつもの第一声だった。生きてるよ。もう少し、がんばるよ。もうちょっと待ってて。まだやり残していることがあるからね。口うるさい母だった。今もあれこれ言っているかもしれない。聞こえた時には耳障りだった。今も、言いそうなことは想像がつく。多分、あちらでツイッター中?!さて、今日は次男の制服採寸の日だ。午後からちょいと動きます。あのちびすけがつめえりだって・・・お~こわっ!