お別れ
お世話になったKさんのお通夜に行ってきた。週に1回4年間もおつきあいがあった。なのに私はKさんの年齢さえも知らなかった。若くして国鉄がJRに変わるときに退職をされた。そのあとはバドミントン、ビーチボール、なんちゃってテニス等の活動に貢献されていた。身体を動かすのが好きな方だった。末娘が一緒にテニスを習いに来ていて何不自由なく育った娘さんだなぁという印象だった。少し早めに会場に着いた私だったが席が後ろの方からつまっていた。空いている席の方にむかうと、おじさんばっかりの中・・・なんか私、場違いか?!「hossyさん!」声をかけてくれたのは独身青年のかつてのテニス仲間だった。横に座らせてもらってしばしばKさんのことについて語った。青年は学生時代にバドミントンで世話になっていたらしい。でも本人よりも最近は娘さんのほうと少しつきあいがあったらしい。「おれ・・・知らなかった・・・入院してたのを。」青年、いささかショックだったらしい。他の自分よりも若い仲間が知っていたことを知ったらしい。もしや。。。この子、娘に気があるのか?!「私も知らなかったよ。入院しているって言うのは風の噂で聞いてたけど・・・」そう。病名だって知らなかった。喪主である奥さんの話で初めて病名がわかった。昨年の2月に肺ガンと診断されたらしい。もう骨にまで転移していて手の施しようがなかったらしい。手術もできず、やく1年闘病されたようだった。遺影をみていると、いつものニコッと微笑むKさんだ。今でも何か話しをしそうである。本当にもう私に話しかけてはくれないんだ・・・あんなにお世話になったのに・・・今も私の頭の中にKさんの声が残っている。テニスの合間にたばこを吸ってたなぁ・・・思い出す。そして父の姿と重なる。父も咳をしながらたばこを吸っていた。「幸せな人生だった・・・ あんた・・・俺の分も生きられかぁ・・・」そう言って亡くなったと奥さんがおっしゃった。Kさん、言いそうな言葉だ。頬を涙が伝った。Kさん、お世話になりました。今、身体は楽になっていると思います。本当にかわいがってくださって、ありがとうございました。笑っている姿のKさんがみえたような気がした。幸せだったといえる人生。よかった・・・また機会があったら娘さんとKさんのことを語りたいと思った。きっとKさんも喜んでくれると思うのだ。私は同じ病気で同じように手術をしなかった自分の父のことを思うとKさんを人ごとのように思うことができない。家に帰ってきても悲しさを引きずっているような感じだった。「せめて話しがしたかったなぁ・・・」呟いてしまった。「きりがないよ。そんなことは仕方ないよ。」夫が言った。そうだね。そうなんだよね。Kさんは今頃、自由になっているんだから・・・悲しいことじゃないよね。そう思おう。またこちらは雪模様。雪かきに忙しくなる。がんばるか~