変化
肺ガンで痴呆のはいっている父が我が家に来てかれこれ10日が過ぎようとしている。その父の介護をしていた母がダウン。身体のだるさで診察をしてもらった結果、膵臓と肝臓の癌がみつかった。母は余命2カ月と宣告された。父の死を覚悟してもう少しで1年・・・きっと父亡き後、母はひとり実家で人に迷惑をかけながら生きるのだろう・・・ずっとそう思っていた。家族は母の癌を告知しないことを望んだが、母の弟が母にばらした。それからだ。母が以前の母と少し変わってきたのは・・・母が入院していた一週間、父はずっと母を待っていた。自分がどこにいるのかもわからない。夜中に目を開けてはキョロキョロ周りを見渡し「ここは・・・どこ?」家の中のトイレを憶えるのに2日間かかり、憶えた頃には・・・私という娘が父の前から消えていた。「どうして、こんなにお世話してくれるのか?」母は実家でひとりで生活していると信じて疑わなかった。明日、母がここにくるんだと伝えると無表情だった父の顔がかわった。「ほう・・・婆もよんでくれるのか?」母が退院して父の横に並んでいる寝ているだけで父は安心した。しばらくすると、「そろそろ、帰ろうか・・・」生まれ育った家に帰ろうと母を誘う。残念ながら母はもう介護はできないって・・・「あんたを看る元気はないっ!共倒れだよ!」以前の母ならそう言っていた。でも今は・・・「今、病院からもらった薬をがんばって飲んで治すから・・・ 治ったら一緒にかえろうな。」嘘みたいだ・・・「家はね・・・荷物もあんまりなくてガラーンとしちゃってるだよ・・・」私がそう言うと「可哀想なことを言うな!」そう言って母に一喝された。ああ・・・この人、やっぱり自分が癌でもう長くないと知っているんだ・・・この変化はそれしか考えられない。父は今となっては母が命だ。これほど思われて悪い気はしないであろう。。。夜中、母は眠れない。「あ~ ぽっくり逝きたい・・・」そう口走る。「あのね・・・人間はそんなに簡単に死ねないよ。 爺ちゃん見てごらん。医者にも見放されてるけど生きてるじゃない・・」母の癌の進行は年の割におそろしく早いらしい。今はそれなりに生活をしているが、あっという間に今の父よりも状態が悪くなるかもしれない。「爺をみてると・・・私がおらんようになったらどうなるやろか・・・ 見てて可哀想になる・・・」母はもう父に逝ってもらいたい気持ちがある。以前もそうだった。ただし、以前は自分が自由になりたかったのだ。でも今はちがう。今は父をみているとつらいのだ。もしかしたら自分が先に逝くのかもしれない。今の父の様子を考えれば自分がいなくなったあとの父が不憫に思えるのであろう。母は変わった。もう自分の事だけ考える母ではなくなった。ずっと、そんな気持ちを持って欲しいと願っていた。父はずっと母を気にかけていた。だから予想以上に生きていてくれた。母のこの気持ち・・・父も安心出来るのではないかと思う。何かが動き出す予感がする。今の状況は世間からいわせれば、可哀想としか言われないだろう。でも、今の私はこの生活も悪くないと思っている。かつてみんなが健康だった頃・・・我が家はバラバラだった。いやな空気が流れていた。だから私は家にいたくなかった。40年たってようやく私の心が満たされている。もうどれくらい世話ができるのか・・・長くてもいいや・・・そんな気持ちにもなる。介護ってつらいだけじゃないんだな・・・関わっていない人の方が、ひどいと決めつけているような気がする。人の世話ができるのは悪くない。親だからできるってのもある。親だからできないってのもあるか・・・?!感情が入ると難しい場合もあるから。最後まで見守る。これは自分が決めたこと。後悔しないように努める。家族も協力してくれるから感謝だ。子ども達には何よりいい経験だと思う。すべてがありがたい気持ちでいっぱいだ。心細い母の気持ちや、気になることも手放していってほしいと思う。それが私の願いだ。自分も物欲、捨てなきゃね・・・(-ω-;)ウーン