母がブツブツ言ってる
母(77歳)が来てから丸四日。歴史の真相はもちろんのこと、日本や他国の現状をCh桜の「報道ワイド」や、あらかじめ録画しておいたものを駆使して伝えたら、すっかり理解してくれたようだ^^。Ch桜の報道を見ながら、何やらブツブツ怒ってる。(笑) キャスターのコメントに相槌打ちながら。「何でこんなことになったんや」と怒ってる。私が子どもの頃、祝日のたびに玄関に掲げた国旗が、ある頃を境に掲げなくなった顛末をよく覚えている。母が近所の様子を気にしながら、国旗を出すかやめるか迷っていたことを。「たいげろちゃん、よそが国旗出してるか見てきて~」と。母は迷いながら掲げ、ある時を境に「もう出さんでええな」と、ピッタリ掲げなくなった。私は、なんだか妙な気分になったことを覚えている。その話をすると、母は真剣な眼差しで「国旗、今も押入れにしまってあるで」と言った。あれから40年近く経つのに、引越しもしたのに、大事にしまっていたのだ。「お母さん、祝日に国旗を出してる家がポツポツ増えてきてるんやで」と言うと。「よっしゃ、今度調べたろ」と、鋭い眼光。(笑)母は、兄夫婦と同居の身。勝手なことはできないので、「様子をみて、そのうちに国旗掲揚を復活してなw」と言うと。「よっしゃよっしゃ」と嬉しそうに笑った。今回私は、母の人生を出来る限り聞き取り、記録に残そうとしている。母は当初、「ひとりでは思い出せないわ~」と言っていたが、私には自信があった。案の定、当時の様子を話して聞かせると、次々にまざまざと思い出し、話し出した。今のところは、母の簡単な年表を作っている。まだ記録はとっていない。私の中で立体的になるまで、母の話に邪魔をせず所々で史実と照らし合わせながら、母の記憶の背中を押している。それに、母はとても嬉しそうだ。本当は、話したかったのだ。戦後の風潮の中で、母は、自分の貴重な体験を話す機会がなかった。私は、30歳を過ぎた頃から、母の人生をいずれは聞いておきたいと思っていたが、こんなにも真剣には考えていなかった。今、母が元気でいてくれることを本当にありがたく思う。父も、母の兄弟たちも、もういない。聞いておきたかった。悔しい。