いっちょ、結婚でもしてみるかぁ~!~Aとかぐやのバヤイ
今晩、『負け犬の遠吠え』とそのお隣さんの本を読んだ感想をAに語ってた私。「言い方は悪いけどこの本を読んだ後に思ったのはやっぱり私が結婚するのって(特にこの年齢で)なんかの間違いなんじゃないかってことだったんだ」「言い方、悪い・・・。言ってることはわかるけど」とぶーたれてるA。でも、Aは知っている。私は「男がいなくちゃ」とか「何が何でも結婚しなくちゃ」と思っていたわけでもないし、多分、将来的にも思わなさそうな人だったってこと。(もちろん実際にそうなったら、どう感じるかはわからないけれど。)そしてAが口走った格言。「まあ、女は、魚が自転車を必要とするぐらい男を必要とする(“A woman needs a man as much as a fish needs a bicycle”―Irina Dunn, 1970)って言うし。実際、そうなんじゃないの?」元は1970年にイリナ・ダンという人が言ったことらしい。(情報源はこちらのタイトルページ。なんか、この格言をもじって反語的に使用してますが。笑)そういうことをマジで言えちゃうAも私は大好きなんだけど(照)、それ以前にどうしてそんな私が結婚しようと思えたのか、ということ自体に考えは飛んだ。私はとりあえず恋愛関係にあっても疲れるだけ。基本的に気の合わない相手となら一緒にいないほうが気も楽だし時間もムダにならない、というわけでカテゴリとしての「長期型恋愛」には興味がない。ただ、その興味のなさが長期的恋愛を避けさせてた疑いも濃厚ではある。(笑)そして結果的には、それが私を長期型恋愛のできない人にさせていたような気はする。私は恋愛が「めんどくさい」ことに発展しそうになるとその時点でそれをほっぽり出して逃げ出したくなっちゃうのだ。でも、恋愛には「めんどくさい」ことはつきものらしい。だから、そんなに「めんどくさい」ことになるぐらいだったらそれぐらいの価値のある相手でないと・・・、でもそんな相手に会える確立なんてどれほどのものよぉ~まあ、どうしても恋愛したくなったらそれはそのときでどうにかすればいっか、ってな感じであまり深く考えないようにしてた。同時に思ってたことは「私、こんな放浪生活続きじゃあ、いいなと思う人に出会えたって長期的な関係は無理じゃん!!じゃあ、一期一会を大切にしないとね。その場限りでも「質の良い恋愛」だけにエネルギーを使おう。長期的恋愛をはぐくむ選択肢が全くないのはそれはそれで悲しいけれど、ま、これだとせめて腐れ縁とかそういうことはないし。いっか。どうしても長期的な関係が大切になったらそのときはそのときで。」ってなことだった。そこで現れたのは恋愛は清く、正しく、美しくぅ~、ってのはウソだけど(苦笑)恋愛や結婚というものに関して理想を捨てていなかったA。結婚は恋愛の延長上にある、と信じて疑わず、当然自分もそういう結婚をすると思っていたA。そして恋愛関係を「まじめ」と「ふまじめ」なものに分けることは不毛、と思っていたA。この人に興味を持ってしまい、果ては好きになってしまったのが私の年貢の納め時だったというか、なんと言うか・・・。私たちはよく「私たちっていわゆる男女の役割が反対だよね」と笑いあったりしてるが、結婚やコミットメントに関しての恐怖心が強かったのは男であるAの方ではなくて女である私のほうだった。私は付き合ってる相手であっても具体的に実現可能な話ではない限り、将来や先の話はしない方針で来てたし、それは今もあまり変わってない。逆に、付き合い始めたばかりの人でこれからどうなるか皆目見当つかない相手に「いつまでも好きだよ」とか言われるとムシズが走るし、それが即、別れる理由になったりする。実際、うまく割り切った関係でやってきていた友人から「好きだ」と言われそうになってすごく重荷に感じたことがあった。そういう人なわけだから、Aが最初のころ、「いつまでも一緒にいよう」と言ってきたりすると「本気でもないのに、そういうことは軽々しく言わないで」と寝言にも言ってた・・・。それをAが「そんな!僕は本気だ!」と言って「だってこの先どうなるかもわかんないのに、そんな約束できるはず、ないじゃん」と言って私は困る、ってやり取りがあったもの。私は楽しいお付き合いがしたかった。だから具体的にできない「まじめ」なお話を持ち込んでせっかくのムードをぶち壊しにしたくなかった。「まじめ」な話をしだしちゃうと私はとことんまじめだから。(笑)なんか、私たちが同棲していたころというのは周辺の大人は私たちの間に結婚話が持ち上がらないのはAが私にちゃんとプロポーズしないせいだろう、と私のことを気遣ってるようなちゃんとプロポーズしないAをちょっと非難してるようなところがあった。でも実のところは多分Aのほうが私たちの関係をよりまじめに捉えてたかもしれないと思う。し、Aがそんな雰囲気に踊らされあのころに私にプロポーズしていたらそれは絶対に私たちの関係の破綻を招いたと思うね。「なんて非現実的なやつ!!」って。(笑)私はといえば、毎日のように「いつまでも一緒にいようね」とささやかれていて、「え~~、こんなのいつまで続くかわかんないじゃ~ん」と思っていた。ちゃんと線引きをしていてこれは長期恋愛なのか、どうかと決心を着きかねていたのは実は私のほうでこれで私が男でAが女だったら私は完全にワルモノにされるに値するキャラだったわけ。つい最近も私たちの結婚の日取りを知らなかったAの親戚に日取りを報告したら「良かったわね、本当に!」と私の顔を見て言われた。そのときは、「えっ!?えっ!?」と思った。行動だけを見たら私がプロポーズしてAがそれに応えた、って感じだけど実際のところは「この関係を長期的なものにしたい」という意思表示を始めたのはAのほうが私よりも何ヶ月も先で足踏みして、いろいろと迷っていたのは私のほう。ここもまたねぇ~(苦笑)男女観が狂うでしょう~。(笑)Aを好きなことに変わりはなかったんだけど好き=恋愛関係にコミットする、って図式が私の頭にはなかったわけで。好きなだけじゃ人間は一緒にいられんよ、と妙に現実的なことを考えたり、言ったりしてるのも私だった。(ま、こういうところは夢見がちな男に実はより現実的な女、という図式が見事に当てはまりますがね。まぐれ当たりだって。笑)同棲してるときに周りが「結婚」なんて言葉を匂わせようもんなら嬉しそうにニコニコしてるのはAのほうでひきっつた笑顔を見せたり、気色ばっていすに座ってるのに中腰になりそうになってたのは私のほうだった。だから結婚をまるで私が待ち望んだことのように祝福されるととっっっても違和感がある。ま、そんなふうな祝福のされ方、そんなにないけどね。私を良く知らない人にしかありえないから、そんなの。(笑)こういう経験談って読んでて面白いのかな?応援よろしく!プチッ!