吉野ヶ里歴史公園、その2 (画像)
前回の古代植物館から甕棺墓列へ。なんだか途中、独り言になってますが。お気になさらず。空想?しながら書いてるもので・・・(苦笑)Link:- 吉野ヶ里歴史公園 -- Googleマップ ストリートビュー -※ ストリートビューでここの甕棺墓列は見れませんが、北墳丘墓手前にある甕棺墓列が見れるようにしてます。 目指すは甕棺墓列(北)写真では南側を撮ってますが・・・(苦笑)奥に見える通路を進んでいきます。この道を300メートル弱くらい歩くと甕棺墓列の北側に到着です。移動の間にも写真を撮ってますが、それはまた別の機会に。甕棺墓列に到着せずに終わりそうなので。- 甕棺墓列 -甕棺は、日本では弥生時代の北部九州に特色的なお墓です。吉野ヶ里遺跡全体では、これまでに、約3,000基を超える甕棺が確認されており、そのうち、この墓列えは1,000基以上に及びます。この場所の特徴として、中央に墓道を設けるように、二列に甕棺が埋葬されています。(説明版より引用)ホームページによると、全長300メートル、約500基の墓列が復元されているそうです。なるべく甕棺墓列が連なって見える場所を撮影してますが、さすがに全体を一度で見るのは無理ですね。少し高いところから見れるようなところがあれば、もう少し甕棺墓列が分かりやすそうですけどね。大人の身長でこんな感じだと、小学生ならば沢山あるのは分かっても全体の様子は分かりにくいような・・・。まだ工事中の場所もあるので、これからまだなにかできるのかもしれませんね。特徴的な人骨が発見された場所など、一部が露出した状態で復元されています。- 一族の集まり -長大な墓列もよく見ると墓列の長さが、おおむね長さ20mから40mごとに、ひとかたまりとなっています。血縁関係のある一族の集まりと考えられています。(説明版より引用)写真は古代植物館に掲示してあった甕棺墓列の写真ですが、上の説明版にある平面図を参考に探してみたら、赤線で囲んだ部分が復元されている部分のようです。複数の写真を見て判断しましたが違ってるかもしれません。こちらは北墳丘墓に展示してある模型です。上と同じく赤線部分が復元された場所のようです。写真を撮る時には復元された場所がどこか分かっていなかったのですが、位置や甕棺の密集具合からこの辺りじゃない?なんて軽い感じで撮った写真でしたが、まさにこの付近でした。一部の甕棺にはパネルがあり、どんな人骨だったかの説明があります。この人骨は「9個のイモガイ製腕輪を見に着けた少女」貝輪をした人は高貴な人とかシャーマンとかそんなイメージがありましたが、他の甕棺と変わりがないところ見ると、一般人とあまり変わらなかったのでしょうか。写真には写ってませんが、この上にも別の甕棺が埋葬されてます。そもそも、甕棺に埋葬された時点で、特別な存在だった人たちだったとか・・・。説明版にあった人骨の写真ですが、この人骨の甕棺が上の写真で復元されているものですね。左奥に上で載せた甕棺が見えてますが、こちらは少し小型の甕棺。「3個以上のイモガイ製腕輪を見に着けた女性」現代人で言えば、小学校高学年から中学生くらいならば入れそう?北墳丘墓から甕棺墓列へ向かう通路。ここを進めばすぐに甕棺墓列です。今は手前からでも甕棺墓列が見えてますが、この辺り一帯の木々が育つと、木々のトンネルを抜けたら目の前に突然、甕棺墓列が現れるような感じになるのでしょうね。