カステル・デル・モンテ、やっと来た~
アンドリアのホテルに迎えに来た車は、正確にはタクシーではありませんでした。運転手さんに話を聞いたところ、アンドリアは町の規模が小さいために、タクシーの許可が下りないんだって。そのうちどこかの町と合併する予定なので、そうなったらタクシーが認可されるそう。それまでは、何だかよく分からないけど、こういうタクシーもどきみたいな商売が認められてるってわけだ。「この町でタクシーが必要になったらどうするんですか?」「そういう時は、駅で駅員さんに頼めば呼んでくれますよ」へえ、そういうシステムなのかあ。あののんきなおじいちゃん、そういうこともやってたんだ。これはきっと、プーリアの他の小さな町でも応用できそう!さてさて、アンドリアからカステル・デル・モンテまでは、何もない畑の中の一本道。周りはずーっとオリーブ畑。しばらく行くと、遠くの丘の上に城の姿が見えてきた~。丘の上にポツンと立つ城。この時思い浮かんだのは、映画『薔薇の名前』のミステリアスな修道院。今にも雨が落ちてきそうな曇天の下で、カステル・デル・モンテは、何やら怪しげな空気に包まれていたのでした。なぜこんな何もない場所に城を造ったんだろう。城に向かって畑の間をひたすら進み、ほどなく到着。雲が切れて、うっすらと光がさしてきた~。人気はほとんどなく、野良犬が丘の上で風に吹かれながら、番犬のようにうずくまってる。八角形の本体に八角形の塔が8個ついた城。造られたのは1229年から1249年にかけて。何のために造られたのか、いまだに謎。愛読のガイドブックによると、「渡り鳥の飛来地を狩りの場所とすべくこの城の建設を命じ、おそらくは設計にも携わった人物(フリードリヒ2世)に似て、天才的にして謎めき、かつ独創的」フリードリヒ2世は、神聖ローマ皇帝でシチリア王。頭のいい人だったようで、戦わないで交渉で聖地を奪還した十字軍の指揮者としても有名。中庭も八角形。城の中。城は輪の形になっているから、中をぐるりと一周できるのかと思うとさにあらず。一番奥の部屋が行き止まりになっているので、壁を1枚隔てた最初の部屋まで行くには、来た道を戻らなくてはならない。なんでそんな造りにしたんだろう。城の正面の部屋から外を見ると、あっ誰か写真撮ってる。数少ない観光客は、ほとんどがドイツ人。イタリア中どこに行っても出会うドイツ人観光客だけど、プーリアではまだ一人も見てなかったなあ。あとで運転手さんが教えてくれた。「ここはドイツ人に大人気の観光スポットなんですよ。いつも団体で大勢来てますよ。この城を建てたのがフリードリヒ2世でしょ。この皇帝、ドイツ系なんでね」ほお~、そんな理由があったのかあ。確かに、フリードリヒ2世の父親はドイツのホーエンシュタウフェン朝の人。ちなみに母親はシチリア王家。言われてみれば、このきっちりした造り、ゲルマン魂、感じるかも。城からは、360度、どっちを向いてもこの眺め。何もないのどかな世界。いったいここで何をしてたんですか、皇帝。城を中心とする一帯は、時が止まってました。中世からずっと、こんな眺めだったのかも。しばし悠久の歴史に思いを馳せて、のどかな春の空気に浸り・・・。観光客よりたくさんいるカステル・デル・モンテ犬がぐてーっと昼寝をしている売店で、記念の絵葉書を買って、よし、これで思い残すことはない。小さくて地味な城だったけど(人が少ないのも納得)、大満足。帰り道では、運転手さんと食べ物談義。「道端のあの人、野生のチコーリアを摘んでるんですよ」「前の三輪トラック、アーティチョークを山盛りに積んでるでしょ。この近くにアーティチョークの名産地があるんですよ」なんて話をしながら、アンドリアに到着~。ただいまあ。さてさて、アンドリアの言えば、カステル・デル・モンテも有名だけど、同じくらい忘れちゃいけないのがブッラータ。次はこの話~。