達成感
●今日の気づき・・・「達成感というのは、きっとできる、その時のベストをだしきる、という想いでやりとげた時、はじめて感じられるのではないだろうか」先週末、下の子の幼稚園の運動会があった。こどもの姿もホントにお兄ちゃんぽくすごくよくって、いつもよりうんと大きく感じた。どの子もホントにいきいきと素敵だった!予行練習も見ていたので、(役員の予行練習として)大丈夫かな?という感じだったのが本番ではもうすごくよかった!かめおかゆみこさんのメルマガの本番というエネルギーを思い出してました。わたしは 今年、PTAの役員(会長)になったので、運動会にも競技のための準備や片付けなどをした。普段から役員どうし、チームワークがぃぃので、とってもいい感じで動けたのだ。先生のお手伝い、という感じだったのだけど、終わった後なんともいえない達成感!わたしは会長として大勢の人の前であいさつをしたし、やはり会長としてのプレッシャーもあり(もともとぼーーっとしてるので人をひぱっていくタイプではないので・・)もう終わった時のあの感じ!味わったことのない感覚。その日はずーっと余韻がさめなかった。それで、達成感について考えてみた。今まで、イロイロしてきたはずなのに、何故かわたしは達成感、を感じることができなかった。運動会がおわって、その理由がわかった。達成感を感じるためには、それをする前に「わたしはできる、やるんだ」という想いが絶対必要なのでは?と思った。今までは「わたしにできるだろうか、わたしなんかにはこんなことできないだろうな、おかしいとおもわれることしたらどうしよう・・・」という不安をかなり、感じていた。(感じていたことにも気づかないほど)その結果、どんなによかった、と人に言われても、「ああすればよかった、あのとき、ああいってあの人に嫌な感じ与えたんじゃないだろうか・・」という恐れがココロを支配し、達成感そのものを味わえなかったのだ。ここ1年ほど、ワークにでたり、本やメルマガや素敵な人の日記でプラスの言葉を潜在意識につもらせ、それをすこしづつ実感にしていった。そして今年の1月、ふっと「したいことをできないのもやらないのも、誰のせいでもない。わたしがやらないから なりたい自分になれないだけだ」とストン、と思ってから、ご褒美みたいにイロンナことがシンクロし、いろんな出会いがあり、その出会いを通しての経験をつむことで、自分を信じる力がすこしづつついてきた。そして4月、PTA会長になる流れになったので、何か、これは与えられたチャンス、と思い、学生の時クラス役員にもならなかった私が、会長になってしまった。でも、なぜか、「私はできる。だから与えられたんだ」と思えた。そして運動会の日も、不安を感じることなく「いい運動会にしたい!」という想いだけだった。達成感とは、「絶対、いいものにするぞ!今持ってるものをだしきるぞ!」そいう想いでしんどくてもやり切れたときに、初めて感じるものなのだ、と思った。もちろん反省はするけど、そんな想いの時は「よし!今度こういう機会の時はこうしよう」と次につなげられるのだ。何かすごいことをするから、達成感を感じるわけではなかったんだ、と気づいた。人からみたら、些細なことでも、本人がその想いで自分をだしきった時、達成感を感じ、また自分を信じる力になっていくのだ、と思った。本当にいい運動会だった。すべてに感謝です。人間も生命の営みはほかの生物と同じだ。ココロが成長する、ということは植物が光りをうけて、太陽にむかってぐん、とのび、より光りを受けられるようになってくるのと同じだ、と思った。土の中のじっと芽吹くのを待つ時期を経て、そこから自分の力で光りをあびるために土から芽を出すのだ。私は今、少し茎が伸びたような感じだ。そうすると全体をみわたせる視野が前よりも少し広くなる。家の中に迷い込んできた虫をみてると最近、思ったことがある。わたしは外にだしてあげたい、と思って虫をてにとろう、とするのだけど虫は逃げ惑う。もう少し歩いたら外にでられる窓にいけるのに虫にはわからない。上から見てるわたしにはそれがわかる。でも低い位置からしか部屋をみれない虫にとってはどちらの道がどこに通じているのかわからないし、わたしのおいかける手も恐怖なのだろう。それをみていて、わたしも、この虫みたいだったんだぁ、と思った。ココロの視野がせますぎて、すぐそこにある窓もわからない。未知のものばかりで、恐怖心がいっぱいだった。これからどんどん上にのびていくことで空中から見てるくらいの視野がもてたら、と思う。そうすれば、こっちのこの先にはこうだよ、とセルフナビゲーターができると思う。それは自分にも、宇宙にも ゆだねられている、ということでもあると思う