(oё)/ 1937年 ヘレン・ケラーが初来日 (04/15)
心をそだてるはじめての伝記101人* 2,940 yen ** ちびまる子ちゃんのヘレン・ケラー * * 924 yen *1937年(昭和12年)04月15日は、"奇跡の人" ヘレン・ケラーが、日本を初来日した日です。因みに戦前、戦後と日本を3回訪問しています。ところで、世界の偉人の伝記シリーズに必ず登場する人物なので、ご存知の方も多いと思いますが、そのヘレン・ケラーが心の支えとし、人生の目標とした人物が日本の、しかも埼玉県民だったことをご存知でしょうか?ヘレン・ケラーが心の支えとした日本人初めて来日したヘレン・ケラーが、浦和市(現さいたま市)の埼玉会館で講演したとき、次のような言葉で話し始めたそうです。「私は特別な思いをいだいて、今日、この埼玉県にやって参りました。いつか日本へ行ってみたい…そうしたら必ず埼玉を訪ねてみたい、そう願ってきました。それが今日やっと実現したのです。こんなに嬉しいことはありません。なぜなら私が心の支えとして、人生の目標としてきた人物が、この埼玉の方だったからです。その方のお名前は[塙 保己一 はなわ ほきいち]先生と言います。私は幼いときから、この日本の盲目の偉大なる学者のことを、母から聞かされ育ち、途中でくじけることなく学問を続け、今の自分があるのも先生のおかげだからです。」と。世界中で、偉人としてその名が知られているヘレン・ケラーその人の口から、埼玉県ゆかりの人物が自分の心の支えであり、人生の目標であったと聞かされて、満員の会場の人たち誰しもが驚いたそうです。* 埼玉の三偉人に学ぶ ** 1,260 yen ** 塙 保己一 (はなわ ほきいち) *塙保己一は、延享3年(1746)、保木野村(ほきのむら) (現本庄市)生まれ。7歳の時に病気のため失明。盲目ながら、日本全国に散らばっていた多くの古い記録や史料を集めて分類、整理して出版しました。これが、「群書類従 (ぐんしょるいじゅう)」です。因みに群書類従の版木(はんぎ)は、温故学会(おんこがっかい)という芸術文化団体に大切に保管され、200年以上たった現在でも、歴史研究に当時の版木から刷りたてられ、活用されています。余談ですが塙保己一は群書類従の版木を製作させる際、なるべく20字×20行の400字詰に統一させていました。これが現在の原稿用紙の一般様式の元となっています。ヘレン・アダムス・ケラー1880年06月27日アメリカ合衆国のアラバマ州タスカンビアで誕生。1968年06月01日死去。87歳没1882年、1歳7ヶ月のときに熱病にかかり、目が見えず、耳が聞こえず、話ができなくなってしまったという三重の障害をおってしまいました。1887年03月03日(約7歳)にヘレン・ケラーの家庭教師として派遣されてきたのが、大学を優秀な成績で卒業した、当時弱冠20歳のアン・サリヴァン(通称アニー)でした。彼女はその後約50年にもわたってよき教師として、そして友人として、ヘレンを支えていくことになります。ヘレン・ケラーはその後、先生の熱心な指導と本人の努力で大学を優秀な成績で卒業し、障害者の教育と福祉、そして世界平和のために全生涯をささげました。* 塙保己一とともに ** 1,575 yen ** 豆知識 *盲・ろう・養護学校→特別支援学校特殊学級(障害児学級)→特別支援学校今年から、埼玉県立盲学校の校名が「県立特別支援学校塙保己一学園」に変更されています。designed BY まよ(^-^*)