「チョコレート・ファイター(2008)~タイのハンディキャップ・デスマッチ!」
この映画は、座頭市や片腕ドラゴンの系譜に入るものです。主人公の少女ゼンにはハンディキャップがありますが、とてつもなく強い。 座頭市は、目が見えません。そのようにハンディがあれば、映画を見る観客は同情を寄せます。さらに、目が見えないのに、大勢の敵が襲ってきたり、強い相手が現れたりすれば、「勝てるのか?」とハラハラドキドキします。つまり、ハンディがある闘いとは観客のエモーションを強く刺激するのです。 エモーションを刺激する闘いといえば、プロレスラー力道山です。当時日本人は敗戦による劣等感をひきずっていて貧しかった。対戦相手は、戦勝国で豊かなアメリカから来たレスラーです。彼らは並みの日本人はおろか力道山よりも体が大きい。様々な点で優位であるにもかかわらず、アメリカ人レスラーは反則攻撃という汚い闘い方で勝とうとします。 それに対して力道山は、なんとかクリーンな試合をしようとして反則攻撃に耐え続けます。アメリカ人レスラーは、力道山の正直さを嘲笑うかのようにずっとダーティーファイトを繰り返します。日本人の観客は、力道山が耐えている段階では大変悔しい思いをしていました。力道山は耐えに耐えた末についに堪忍袋の緒を切らし、猛反撃に出てアメリカ人レスラーをこてんぱんに叩きのめして勝利を得るのです。力道山が一気呵成の反撃に出ると、観客は気持ちがすーっとしてやんやの喝采を送るわけです。 これもハンディによってエモーションが刺激される例なのでありました。 僕の友人のお父さんは、戦争で捕虜になり大変辛い思いをした方でした。そのため、アメリカ人レスラーが卑劣な攻撃を繰り返し力道山が耐えていると怒り狂っていたそうです。「(反則攻撃を見逃してばかりいる)レフェリーのバカ野郎!」などと青筋を立てて怒鳴るばかりか、力道山の劣勢が腹に据えかねて、当時は大変高価だったテレビを庭に放り出して壊してしまったとの伝説が残っています。 それ以後、力道山がやられているときは、「もうすぐ力道山がやり返すから放り投げないで」と家族全員総掛かりでテレビを抑えていたそうな。ついに力道山が伝家の宝刀空手チョップでアメリカ人レスラーをなぎ倒すと、お父さんは「それでいいんだ!」と拍手を送っていたとのこと。 そう、力道山がただ反撃に出て勝つだけではいけないのです。必殺空手チョップというフェイバリット・ホールドが観客をさらに酔わせていたのです。 大相撲出身の力道山は、プロレスラーになりたてのころは決め技に相撲の張り手を使っていました。しかし、張り手には華がない。これを振り下ろす形に改良し「空手チョップ」と命名することによって、単なるフィニッシュ・ホールドからフェイバリット・ホールドに進化したのです。 「チョコレートファイター」の主人公ゼンは、幸薄い少女です。彼女の両親は、愛し合っているにもかかわらず、仲を引き裂かれます。母親は一人でゼンを産みますが、彼女は生まれつき脳に障害がありました。さらに、母親は、ガンに犯されてしまいます。 観客はこんな過酷な運命を背負ったゼンに同情を寄せずにはいられません。それだから、ちんぴら集団に襲われたときに、ハンディがあるゼンをいたぶろうとするのは許せませんし、またハンディがあるからとても心配になります。ところが、ここ一番でゼンはもって生まれた格闘技の才能を発揮して、愚連隊を一網打尽にしてくれました。これを見て観客はストーンと溜飲が下がりました。 そして、力道山の空手チョップに匹敵するのが、ゼンの華麗なるファイティング・スタイルです。ゼンがただ強いだけでなく、優れた身体能力による技(わざ)の数々はじつに見応えがあります。ゼンのファイティング・シーンは映画の流れから独立させて、そこだけ見ていても惚れ惚れとします。 かつてブルース・リーの映画も、ストーリーよりも、ブルース・リーの超人的なカンフーが見られるだけでよかった。それと同じです。 そのブルース・リーの香港カンフー映画や武侠映画に大きな影響を与えたのが座頭市です。座頭市は、居合い逆手斬りの立ち回りが目にも止まらぬ早技で、フィルムのトリックかと思うほどでした。そして座頭市をアレンジしたかのような片腕ドラゴンに至っては、なんと片腕一本指の逆立ち殺法で闘います。ハンディを乗り越えた凄さを表現しようとがんばったわけですね。 さて、脳に障害がありながらも、並はずれた運動能力と格闘技を学ぶ能力をもつゼンです。以後の展開で、母親の貸した金を取り立てにいって、そこの荒くれ者たちと格闘になれば、観客はゼンを応援せずにはいられません。ゼンが不幸な身の上を吹き飛ばすかのように颯爽と闘う姿とアクロバチックなまでに洗練された技を見るのは快感に酔いしれる思いでした。 それにしてもタイのアクション映画は、延々と続くデスマッチをフィルムに収めているかのようです。様々なアイデアを映像化するために、本当に危険なスタントをしていることがラストに流れるNGフィルムからわかります。 ゼンが闘うのは愛する母親のためであり、自分が母親に心から愛されているとわかっているのでそれが心の支えとなって強くなれるのです。 映画のラストで、父親である阿部寛が「愛だ!」と叫びますが、全然クサいセリフとは思わなかった。十分納得できましたよ。人気blogランキングに参加中。クリックしてね。ご協力、よろしくお願いします。