鈴木則文著『東映ゲリラ戦記』〜観客を徹底的に楽しませる
【楽天ブックスならいつでも送料無料】東映ゲリラ戦記 [ 鈴木則文 ]価格:2,052円(税込、送料込) この本の中で、映画監督鈴木則文氏は、ご自分が監督した映画の中でも、ポルノ系、空手アクション、漫画原作の映画化等について語っている。キーワードは、不良、ゲリラだ。 不良、ゲリラ、そこにはメインストリームでもメジャーでもない魅力があふれている。 本書には以下の記述がある。「ポルノ路線に縛られるのは苦痛であるが、ポルノでさえあれば題材と物語は自由という点は、なんともいえない解放感でもあった」「京都の片隅でゲリラ的にやっているわれわれのポルノ路線は、ポルノであれば題材は自由というのが最大の魅力じゃないか」 格式が高いものは、社会からしっかりと認められているが、それがために自由度は低くなる。格式が低いといわれるものは、世間からの公的な評価も低いが、自由度が高くなるのだ。 プロレスは、一般新聞のスポーツ欄に記事が掲載されることはない。しかし、反則がカウント5まで許されるという他のスポーツにはありえないルールを有し、場外乱闘や凶器攻撃などを含めた自由度の高い闘いぶりで、独自のおもしろさを見せてきた。 何をおもしろいととるかは、人によってちがうが。 本書は、まず「ポルノ」の池玲子のエピソードから始まる。 池玲子は、我々の世代にとって、ある種のシンボル的おねえさんだった。 なにせ「ポルノの女王」なのだから。 当時ポルノという言葉は、耳慣れないがとても刺激的な言葉だった。 芸能界の表舞台には、南沙織、小柳ルミ子、天地真理の元祖アイドルがいた時代。 裏街道を行く不良アイドルが、池玲子だった。 実年齢16歳なのに、18歳と偽ってポルノの女王として売り出したのだからね。 18歳といえば、あのころは、18歳未満禁止の成人映画というジャンルがあった。成人映画専門の映画館もあった。それらは、まったくいかがわしい雰囲気を漂わせていた。 この成人映画、「見ちゃいけない」といわれると、中学生、高校生には禁断の果実となり、興味津々だった。でも、禁を破ってそれを見に行くほどの度胸はなかったね。 高校生のとき、友達の家で週刊平凡パンチを見ていた。そうしたら、グラビアページに池玲子と杉本美樹のトップレス撮影会の記事があったのさ。その撮影会は、新作映画『女番長(すけばん)ゲリラ(1972)』の宣伝だとのこと。 池玲子が(または池玲子と杉本美樹がツートップで)主演する女番長シリーズは、成人映画のようでいて成人映画ではなかった。 実際、女番長シリーズと成人映画の両方を見たことのある友達にいわせると、両者には「大差ない」んだそうだ。 そして、当方が初めて見た女番長映画は、この『女番長ゲリラ』だったのだよ。 平凡パンチのグラビアの後、新聞の映画広告欄に『女番長ゲリラ』公開、池玲子、杉本美樹が舞台挨拶!の文字を発見した。これは行ってみたかったね。 友達は、「トップレス」で登場するんじゃないか」と期待を煽る発言をするし。 しかしながら、みんなで舞台挨拶を見に行こう!というところまで機運は高まらず、かといって自分一人でスケベおやじに混ざって観客席からポルノ女優を眺める度胸もなく、件の舞台挨拶には行かなかった。悔やまれるぜ。 だからといって『女番長ゲリラ』に対する思いは断ち難く、夏休みの登校日の帰り、友達を誘って見に行っちゃったのでございます。二本立て上映のA面(メイン上映)は高倉健の『網走番外地 嵐を呼ぶダンプ仁義(1972)』、そしてB面(添えもの上映)が『女番長ゲリラ』だった。そう、この2本は、東映の昭和47年お盆興行という力の入った番組だったのだ。 本書を読むと、『女番長ゲリラ』のほかにも池玲子主演映画については、成人映画指定をなんとか免れるように画策したとのこと。「成人指定を主張する映倫に、平身低頭、ひたすら揉み手のおべんちゃらで乗り切った」「映画の主たる観客は若者である。好奇心旺盛な十代は絶対にはずすことは出来ない」「池玲子主演作品の観客のターゲットは現役の高校生」 まさに、ゲリラ作戦大展開なわけだが、高校生だった当方は、まんまとこの狙いにはまりこんでいたわけだ。 このときの二本立ては、二本ともおもしろく、満足して映画館を後にした。だが、監督鈴木則文については、たぶん全然頭にはなかったと思う。 そして、この後も、鈴木則文作品ということは意識せず、彼の映画を見続けていた。 志穂美悦子の『女必殺拳(1974)』シリーズ、『華麗なる追跡(1975)』など。 真田広之の『忍者武芸帖 百地三太夫 (1980)』『吼えろ鉄拳(1981)』『燃える勇者(1981)』など。 これらはおもに、空手アクションへの興味から見たものだ。 これらの空手アクションについても本書でふれてあるが、もっと読みたかったというのが正直なところだな。 監督、鈴木則文の名前を意識したのは、A面として公開され、大ヒットして東映の看板映画となった『トラック野郎』シリーズ(1975〜)だったと思う。 この本の中では『トラック野郎』についてはあまりふれられていない。 その『トラック野郎』シリーズの頃だったと思うが、鈴木則文監督ともう一方(誰だったかなぁ)がテレビ出演をされていたのを記憶している。番組の中でマキノ雅弘監督と電話し、鈴木監督はつぎのように語った。 「私は、マキノ監督の影響を強く受け、映画は娯楽だと割り切っています。これからも、マキノ監督の後を追って、娯楽に徹した映画を撮り続けていきます」(正確な再現ではないが、だいたいこんな内容だったと思う) この話を聞いて当方は、映画は娯楽というが、その芸術性についてはなんと考えているのか、と憤りを感じたことを覚えている。 今となっては、鈴木則文監督のゲリラや不良的な感覚に共鳴しているのだが。 鈴木則文監督の作品は、『ドカベン(1977)』『伊賀野カバ丸(1983)』『コータローまかりとおる!(1984)』の漫画原作の映画化が未見である。この後、見てみたい。 人気ブログランキングへ