『LIVE FOR TODAY 天龍源一郎(2016)』〜北向き天龍の生き様
【楽天ブックスならいつでも送料無料】完本天龍源一郎 [ 天竜源一郎 ] 天龍源一郎の勇姿に、テーマ音楽「サンダーストーム」がかぶされば、俄然気分は盛り上がる。 映画は、勇壮な「サンダーストーム」から始まるのかと思いきや、これがなかなか聞こえてこない。 天龍の試合会場への入場シーンがカットされていたり、あるいは花道に出る前の通路で、会場内のテーマ曲が漏れ聞こえてくるだけだったり。 しかし、満を辞して、いよいよ「サンダーストーム」が鳴り響くときには、興奮はクライマックスに達するのだった。 この映画は、天龍の格闘技人生を記録したものではない。 引退ロードのドキュメンタリーなのだ。 だから、若い頃の試合や天龍同盟として暴れ回った姿は見られない。 引退を決意し、腰部脊柱管狭窄症の2度の手術を経た、60代半ばの痛々しいともいえる姿が見られるのみ。しかし、気力は一向に衰えを感じさせない。 そして、懐かしい昭和の名レスラーがスクリーンに姿を現す。 グレート小鹿、グレート・カブキ、ドリー・ファンク・ジュニア……。 グレート小鹿は、アメリカでヒール(悪玉)として名前を売り、他のレスラーと同じように日本に帰ってきてベビーフェイスに戻るのかと思いきや、異例のヒール・スタイルを貫いた。 グレート・カブキは、若手の天才レスラー、高千穂明久としての活躍が強い印象を残している。ドラゴン・スープレックスやタイガー・スープレックスなど露ほどもなく、ジャーマン・スープレックスさえ使い手がほんのわずかしかいなかった時代(1960年代)に、前座戦線でオージー・スープレックスにトライしていた。オリジナルのオージー・スープレックスはローリングして固める技だったらしいが、高千穂は見事に投げていた。当方が会場で見たときは、片腕のロックが外れて決め技にはできなかったが。 そして、ドリー・ファンク・ジュニア。 彼は、1960年代の終わりに、いきなり若きNWA世界ヘビー級チャンピオンとして顕現した。「日本プロレス中継」の速報ビデオで、荒法師ジン・キニスキーを破ってチャンピオン・ベルトを掲げて歓喜のジャンプを繰り返す姿が、本邦初お目見えだった。 以後、猪木、馬場、坂口と名勝負を繰り広げた。得意技としたスピニング・トーホールドやテキサス・ブロンコ・スープレックスには目を見張った。 そして、1977年のオープン・タッグ選手権開幕戦の後楽園ホール、馬場、鶴田組対ブッチャー、シーク組、史上最凶悪コンビの暴走ファイトから鶴田を助けようとした弟のテリーが返り討ちに合ってしまった。そこに、押っ取り刀で丸椅子を手に組び込んできたのがドリーだった。手近にあったから持ってきたのか、丸椅子は攻撃には使いにくそうだった。ここから、ザ・ファンクスとブッチャー&シークの因縁が始まったのだった。 そうした名レスラーだけでなく、門馬忠雄氏などのマスコミ関係者の顔も見られた。 これらの昭和プロレスを彩った顔も、今は年輪を重ねている。天龍よりも年上のレスラーたちがリングで、若かりし頃に得意としたファイト・スタイルを披露する姿を見ると、あの頃が蘇ってくる。 おそらく、懐メロを聞くと、その曲から、かつての自分自身やその頃の風景なども同時に脳裏に浮かぶのではないか。プロレス界も、その年々に数々の名勝負や様々な出来事があり、昭和のレスラー諸氏、関係者がお元気な様子を見ると、自分の歩んできたその時々を思い起こさずにはいられない。 天龍本人は、映画の中でこれまでの格闘技人生を振り返り、「何くそ、と、目の前の困難を一つ一つ乗り越えてきた」と語っていた。 天龍の著書『完本 天龍源一郎 LIVE FOR TODAY‐いまを生きる‐』には、「北向きの天龍」という表現が出てくる。 「北向き」とは、「相撲界の隠語で変わり者、すねっぽい人のことを言う」とその著書にある。 この「北向きの天龍」を目の当たりにしたのは、1990年2月10日東京ドーム'90スーパーファイト IN 闘強導夢での「天龍源一郎&タイガーマスクvs長州力&ジョージ高野」だった。両コーナーのレスラーがリングの登場するまでに、お立ち台があった。しかし、天龍はそのお立ち台には上がらず、お立ち台を拒否して花道を歩いていった。 この日天龍は、全日本プロレスを代表してライバル関係にある新日本プロレスに登場した。だから、ショーアップの部分であるお立ち台を「ふざけるな」と拒否して、闘いへの意気込みや集中などを胸に入場していったのだと見受けた。 「北向きの天龍」とは、いかに自分の感性に忠実にいられるか、ということではないだろうか。 アントニオ猪木は、「プロレスの市民権」を訴えて世間と闘った。 長州力は、「咬ませ犬じゃない」と発言して?序列と闘った。 彼らの闘いは、いわば外敵との闘いであった。 しかし、天龍の戦いは、自分自身が、周囲との軋轢の中で、流されずに、自分自身でいるための闘いだったと思う。 周囲が南を向いていても、自分自身の感性は北を向いている。そんなときに、安易に南を向かないように、「何くそ、と、目の前の困難を一つ一つ乗り越えて」行ったのだろう。 そして、その自分が自分であるための闘いが、天龍の生き様になっていたのだ。 だから、天龍こそが、自分自身に妥協しない「生き様」を見せたレスラーだった。 プロレスラー天龍は、映画の中で「プロレスは楽しい」と語っていた。 そう語る天龍が引退試合に選んだ対戦相手は20代のIWGPチャンピオン、オカダ・カズチカだった。 この時代のトップであるオカダ・カズチカと、初対決であると同時に自身のラスト・マッチを行なったのも、最後の最後まで、チャレンジ精神をもって自分自身と闘い、生き様を示したのだった。人気ブログランキングへクリック、よろしくお願いします。