母を見送って
親を見送る、などとかいて罰が当たったか、記事を書き上げた数時間後に死亡したとの電話がはいった。高齢だったので「もう長くはないな」と思っていたが、ものの数時間で死んでしまうとはまさに「無常の風」である。折からのコロナで面会禁止になっていたが、医者は「そろそろ」と感じていたのかも知れない。そこからはまことに疾風怒涛、遺体の引き取り、葬儀屋との打ち合わせと寺院の連絡に忙殺された。コロナ禍の今、親族葬で人数を減らし、密を避けることが流行しているが、従来自治会関係者がやってくれていた雑務はみな自分でやらなければならない。いきおい葬儀屋に丸投げとなり、費用がかさむ。かくて葬式費用は縮こまり、寺の倒産が増えるという悪循環。たぶん寺を持たない僧侶がこれから肉体労働者化して行くのではないか。しかしそれは次第に宗教集団ではなく芸人化して行くような気がする。喪主を務める者の最大の課題は挨拶。特に親類縁者ばかりとなると通り一遍の見本のような挨拶にはならない。母は特に年をとってから写真を撮らせたがらず、拒否の姿勢。「葬式の時に困るやないか」と脅しても聞かない。妹と探しだして30年も前の写真になった。「古い写真や」「わこうてええやないか」まあこの感覚も親族ならではだろう。笑って送られる母は幸せ者だ。挨拶で「母」では泣かないが、「お母ちゃん」というと泣いてしまった。原稿を持った手が震えだし、涙声での挨拶になった。母は94歳で逝った。それまでの最高記録は祖母の93歳。現在タイトルホルダーである。このことを告別式で話すと1年生になった孫が拍手をくれ、出席者は大笑い。心に残る通夜・告別式になった。