障害者仲間の死
自閉君の通う通所施設で、同僚?と呼ぶべき人が亡くなったと女房から聞いた。うちの自閉君よりも3つばかり上で、母親同士で仲が良かったらしい。死因は血栓による肺動脈塞栓だったそうだ。ほとんど突然死であったらしい。死後の解剖で4cmも詰まっていたとわかったという。早い話が窒息死だ。知的障害では本人のコミュニケーション能力が低いことで周囲に体調の悪さを訴えられず、無くなってしまうことがある。それを引用して「障害児は短命」という話も聞いたことがある。肺塞栓はいわゆる「エコノミー症候群」で、長く動かない状態であるときに下半身で生じた血栓が血流に乗って流れてきて引っかかり、詰まってしまう状態だ。私もがん切除を受けたときにきついストッキングを履かされ、その予防だと聞いた。治る見込みのない障害を持った子を持つ親は、「せめてこの子を見送ってから死にたい。たとえ一日でも」と考える。私もそうだった。兄妹に世話をかけないように、と考える。しかしいざ先立たれたら、多分「もう少し生きていて欲しかった」と思うだろうと想像する。今自閉君は40歳。私の年まで後30年。健康状態は同じ頃の私よりも悪いと思う。原因は肥満だ。今に所見が何か出てくるだろう。亡くなった人は家ではほとんど動かなかったらしいが、うちの自閉君は毎日1,5kmほどを歩いて通っており、もう少し条件はいいように思う。明らかに過食だが、目を盗んでのことで手に負えない。しかし、生まれついての障害は誰の責任でもない。染色体の異常とも言える。一定の出現率で生まれてくるものだ。出生後の負担は精神的にも金銭的にも家族にかかってくる。障害年金は年額100万円を切っている。親亡き後の生活は非常に心配。だから勝手に「1日でも長く」と考えるのだが、しょせん別の生命体、親の死と子供の死には関連はない。せめてもう少し手厚い福祉を望む。