胃がん 健診と自らの言葉の重要性 そしてもう1つの生き方
先日、小林麻央さんが亡くなったこと。よくがんばって生きたなと思った。ちょうど公になったころ、家の父も抗がん剤治療をしていて、そんなせいか、なんとなくブログはのぞいていた。小さなお子さんを残して逝くということは、本当に無念だったろう。●胃がん&抗がん剤&終末この世に生を受けたものは、行きつくところは死であって、それまでに長い時間があるのか短い時間なのか、またその過程の深みもそれぞれ異なる。自分で努力してどうこうなることもあるが、もうどうにもならないこともある。しばらくあいてしまったが、もう少し父のことで記すことがあった。◆健診(ドック)と自らの言葉で伝える重要性父を見ていて思ったこと。健康な時点でそれなりに“生きたい”という気持ちがあるのなら、健診は受けるべきだと思った。そうはいっても、生きている、明日は当然来ると思うのが普通の感覚でもあるが…。ただどの程度まで受診するのか。一般に検査項目にあるようなものは、早期発見で手術も可能、完治の見込みもあるものだと思う。少なくとも胃や大腸は、内視鏡手術でも可能なものもある。父の場合、すい臓近くに何かができているとわかったとき、結果、胃がんからの転移であったのだが、原因を調べるのも容易ではなかった。内視鏡手術を試みたが、とれないところがあり、結果、開腹手術をした。その際に、胃の後ろにあるその“何か”も切除できてそれが“何”であったか検査ができた。75歳になるまでは、市の健診でも胃の検査はある。でもバリウムっていうところが微妙な気もするが…。少なくともやることをやっていれば、自分の置かれた状況にある程度あきらめもついただろう。だが父はがん発見されるまで、市の胃健診をここ3~4年受けていなかった。さらにもう1つ。父は、すい臓近くの腫瘍が大きくなりなんとなく変だと異変に自ら気づいたと思うのだが、この時点(平成27年3月頃)で主治医にしっかりと伝えていればもう少し状況は変わったかもしれない。かかりつけの医院の先生だって、いきなり胃の検査はしないし、しなくて当たり前だと思う。胃の薬をもらって、なんとなくよくなる。そしてなんとなく変のくりかえし。結果、父が自ら検査を申し出たのは、平成27年8月頃。なんとなく変と自覚した当初から半年も経過していた。胃の不調は、健康な人でも当然日常的にある。その1度の不調をおおごとにとらえて、胃カメラで検査しましょうなどとはいわない。自分自身の身体は、自分がよくわかっていて、いや自分しかわからないものだ。不調であればその症状を、自らの言葉で語らなければ伝わらないと思う。健診やドックを受けること。そして、自らの言葉で医師に伝え、長引く不調には検査を申し出ればしてもらえるはずだ。◆胃がん、もう1つのある意味生き方これはうちの父の話ではない。1ヶ月ちょっと前のことだ。家の近所で、ひとり暮らしの方が自宅で亡くなっていたということがあった。警察の人が来て結構おおごとだった。あとから聞いた話では、胃がんの末期で入院せずに亡くなっていた、というのだ。亡くなってから2~3ヶ月経過していたらしい。“組合”に入っていない人で、昔から住んでいる人でもないようで、近所といえば近所なのだが、どんな人だか全く知らない。50代くらいの人だったらしいが、親もどこかにいるようで、それでも独り誰にも知られず死を迎えた。人それぞれ、いろいろな事情や生き方がある。父は相当だるかったらしいが、痛みはないとはっきりいっていた。がんの症状も人それぞれ。抗がん剤治療の効き方や副作用もまたそれぞれ。知らない人ではあるが、痛くなかったのかな、苦しくなかったのかなと思う。人の手があるから、病でも人は少し余分に生きられる。人の手がなかったら、そんなには長くは生きられない。◆もしも自分自身が“がん”だと判明したときいろいろあったので考えてみた。仕事をしていると健康診断を受けるのも義務なので、当然受けてはいるが…。内視鏡でとれる程度のものなら、手術をした方がいいかもと思う。だが開腹?わたしは何のために誰のために生きている?そう考えてみる。わたしは、命そのものが単に大切なのではないと思っている。大切なのは、その命が尽きることで哀しんでくれる誰かいるということ。その誰かのために大切なんだ、と。(ルイちゃんが天使になった日にも思った)つらい抗がん剤治療をするのは何のため?生きる目的や、やり残したことをやるため。誰かのため…。今の時点では、母より先に死んではいけない。死ねない。それではあまりに親不孝すぎると思っている。(あとハクちゃんをおいても死ねない🐣)でも将来的には、父の様子を見ていた限りでは、抗がん剤治療はしたくない。そこまでして生きる目的や気力がないように思う。やりたいことや興味のあることは、今なおたくさんある。でも、人はいつか死を迎えるもので抗うことはできない。そういう淡々とした想いが根底にあるせいか、どうもわたしの生き方は飄々としている。それがわたし自身なのだからそれでいいと思う。胃がんの発覚から亡くなるまで1年半くらいあり、弱っていく様子を見ていたので、身内としてはそれなりの覚悟や準備ができた。ただ父にしてみれば、平成27年の夏。末期で手の施しようがなく、あと3ヶ月とか宣告されて死を迎えた方が楽だったのかもしれない。抗がん剤治療を終えたら、長くはないにしても普通の生活があと何年かできるそんなふうに思っていただろうから。※このテーマはとりあえず今回で終了の予定胃がん&抗がん剤&終末👈すべて読むのはココから 木漏れ日の中で…roze-pi家の食卓日記幕ノ内メニュー♪黄昏屋敷の古井戸から…ホラーな日記。真実かって? それは、ひ、み、つ♪