哲学はどのように役立つか?(回答編2)
(前日の続きです)>しろうとさん━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆◆ 「これは従来からある単なる相対主義的な見地とどう違うのか 不明です。」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆◆ そうですね。これはよくみられる典型的な批判なので,『構造構成主義とは何か』の4章8節の「関心相関性に関する批判とそれへの回答」として論じています。「1.価値相対論?」(p.77)の箇所になります。 なお,こうしたタイプの紋切り型の批判を「同じ論」として定式化しています(p.202)。↓以下でもちょっと論じています。 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=1577478 「同じ論」に関しては,『構造構成主義とは何か』から引用しておきたいと思います。 pp.202-203から抜粋(ただし,校正前の原稿をコピーしているので,引用する場合などは『構造構成主義とは何か』の文章から引用してください)。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆◆ 2.「同じ論」に対する態度 また誤解と同様に,「構造構成主義は~と同じである」という意見もあろう。これもまたその人の関心に照らし合わせるため「~と同じ」と感じられることは多々ある。もっとも,「~と同じ」と感じること自体なんら問題ではない(むしろ,それを契機に「アナロジーに基づく一般化」が行われ,異領域にてその知見が発展する可能性もある)。 ただし,それが「~と同じだから学問的に価値がない」という批判として提起された場合は,アカデミックには看過できない問題となる。ここでは,こうした批判を「同じ論」と呼ぶことにする。この「同じ論」的批判に対して,簡単に議論しておこう。 まず「同じ論」を提起する際には,単に「同じだと思う」というだけではなく,できるだけ具体的に「やろうとしたことが同じ」なのか,「議論の組み立て方が同じ」なのか,どの部分がどのように同じであり,そのことは何を意味するのか(良いのか悪いのか),またそれらを踏まえて今後どうすべきなのかを論じなければならないだろう。 またこうした「同じ論」の問題を考える際に,加賀野井(2004)は議論は押さえておく価値があるだろう。 もちろん,言語学者であれ哲学者であれ,ソシュール以前にも「言語」を論じた人々はたくさんいたし,あらためて読みかえしてみれば,彼らの書物のそこかしこにも「言語とは何か」という問いが秘められてはいる。しかし,そうした問いが秘められていることと,主題化されることとの間には,月とスッポンの違いがある。 たとえば,哲学者デカルトの言葉に,あの有名な「コギト・エルゴ・スム(我思うゆえに我あり)」というのがあって,この言葉が,近代思想史の出発点に置かれているわけだけれど,あれなんかも,よくよく見れば,聖アウグスティヌスの思想のなかにだって,その他の中世思想のなかにだって,ほとんどそのままの形で含蓄されていたと言っていい。大切なのは,そうした含蓄のなかから,デカルトという人物が「コギト」に目をつけ,のっぴきならぬ形でそれを主題化したということなのだ。(加賀野井,2004;p.11-12)。 ここで論じられているように,注意深くみれば同じ問いが秘められていることと,主題化されることは,全く異なる次元であることを理解する必要がある。このことを踏まえることにより,より建設的に議論を行うことができるようになるであろう。 「誤解」と同様に,「~と同じ」と言われたりすることは,関心相関性という観点から考えれば,不可避のことであり,享受しなければならない。しかし,それは「出発点」として享受するのであり,結論としてナンデモカンデモ是認するということではない。まず指摘された内容を建設的に吟味した上で,反論すべき点には反論し,そして妥当な点は汲んでいかなければならない,ということなのである。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆◆ ちょっと関連する話題があったので挙げておきます。 http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?key=17107pg20051102 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 某MLで議論紛糾。海外でもやる人はやるんだな~。 んで、こんな言葉があるということを知った。 "Theories have four stages of acceptance: i) this is worthless nonsense; ii) this is an interesting, but perverse, point of view; iii) this is true, but quite unimportant; iv) I always said so. -J.B.S. Haldane, 1963 "When a thing is new, people say: 'It is not true.' Later, when its truth becomes obvious, they say: 'It is not important.' Finally, when its importance cannot be denied, they say: 'Anyway, it is not new.'" - William James, 1896 ネタ元はここ↓ http://www.amasci.com/weird/skepquot.html なんとなく既視感が(笑)。世界中、同じようなこと考えている人はいるもんですな。で、上記発言の年代的にみて、おそらく未来永劫、こういうことは言われ続けるんでしょうな。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ これを知っていて「同じ論」とか書いたわけじゃないですが,ほんとに,おもしろい現象だな~と思いました。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆ 「this is worthless nonsense」だと思ってますが、 それに対する十分な反論がないままに、 あたかも既に「interesting」とか「true」というように 位置付けるのは哲学的には怠惰であり傲慢です。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆ ご指摘ありがとうございます。上記は確かにそうとも言えると思いましたので,以下に回答を書かせていただきたいと思います。 実は,選挙を題材にした部分は,現象学的思考法の実践なのです。そのため,しろうとさんが現象学を“this is worthless nonsense”であり,「従来からある単なる相対主義的な見方」であるとお思いならば,僕がここまで書いてきたことは,現象学の忠実な実践例に過ぎませんので,それを超えるものではありません。 ただ,構造構成主義に関していえば,「哲学的構造構成」と「科学的構造構成」という二つの営為領域からなり,現象学的な思考法は,前者の一部をなしている原理の一つに過ぎません(「科学的構造構成」については本トピックには関係ないので述べてきませんでしたが)。 むしろ,構造構成主義の最大の特長は,「哲学」と「科学」を包括するメタ理論となっている点にあります。つまり,哲学的構造構成によって,相対化する理路も備えていると同時に,それでは終わらずに,科学的営為を促進する,科学的知見の生産力を高めるメタ理論となっているということです。 こうした科学的営為における有効性を備えているからこそ,構造構成主義が提唱されてそれほど時が経っていないにもかかわらず,実際に,心理学,発達研究,知覚研究,実験研究,質的心理学,心理統計学,リハビリテーション,EBM(エビデンス・ベイスド・メディスン),NBM(ナラティブ・ベイスド・メディスン),動機付け研究,古武術(身体技法),政治学,歴史学,作業療法,理学療法,看護学,医学,脳科学といった多岐に渡る領域に導入されてきているのだと思います。 http://www.geocities.jp/structural_constructivism/