北朝鮮核実験についての雑感
北朝鮮が核実験に成功したらしい。 僕は,へえそうなんだと思った。 いつかするだろうと思っていたから特に驚きはなかった。 北朝鮮が核実験を成功させた後にこれだけ世間が驚くことが、僕には驚きでもあった。とはいえ僕もこのことの意味がよくわかっていないのだろう。そんな気がする。ボケていることにボケている人が気づかないように、平和ボケしていることに平和ボケしている人は気づけないのかもしれない(僕も含め)。 それから思ったこと。 現実は不平等が原則なんだなあということ。 アメリカや中国は核兵器を保有している。 国家同士がもし平等ならば、北朝鮮が核兵器を保有して悪い理由はない。 核兵器拡散条約があるからとかなんとかいっても、じゃあみんな持たないようにするのが平等だろうと思うがそういう話には絶対にならない。 しかし、北朝鮮は核兵器はもってはいけないし、実験するのすらもってのほかなわけだ。 もちろん近隣諸国が反対するのは当然だし、制裁も加えるべきだと思う。ということはまあ、「不平等が原則」ってことですな。 建前はどうあれ、この不平等さを誰もがどうでもよくなるほど,今回の現実は切迫したリアリティがあったということなんだろう。 差別論者の一人ぐらいが、「それは国家差別だ!」とかいっても良さそうなものだし、ラディカルな社会的構築主義者、例えば(ちょっと前の)上野千鶴子さん等が「核実験ということですら社会的に構築されたものに過ぎない」と言っても良さそうなものだが、こういうときにそういうことを言わないのはなぜだろう? 圧倒的リアリティの前に、そういった言説を吐いている場合じゃないなということが身を以て分かっているのだろうな、きっと。 もっとも万が一,今回の一連の報道もすべて構築されたでっちあげでしたチャンチャンなんてことが後でわかったら,社会的構築主義者は喜んで貴重な資料として使うだろうけども。 そう考えると,社会的構築主義って予測に使いずらい認識論なのかもしれない。すると科学的認識論としては使い勝手が悪いということになるか。 しかし,北朝鮮はなんでそういうことするかなあ。おとなしくしてれば政権を維持できるのに、付け入る隙を与えてしまった。今回のことは、どういう結果に帰着するだろうか。 10年後北朝鮮はあるか? 10年後日本はどうなってるか? 現実的にはありえないだろうが、仮に核爆弾が日本に落とされるようなことになったらどうなるだろうか。 まず何百万というひとが死ぬだろう。自殺者は激減するに違いない(戦争時には自殺者は激減することがわかっている)。 アメリカは北朝鮮を攻撃して、北朝鮮は滅びるだろう。そしてイラクのようになる。 憲法改正はあっさり通るだろう。今までのすったもんだはなんだったのっていうぐらいに。 自衛隊は先制攻撃権を持つに違いない。後の祭りだけど。 優秀な研究者は、軍事部門に招集されるだろう。 国家予算の多くが軍事に割かれるようになるだろうね。 戦争関連の、たとえば原爆体験者のPTSDに関する科研費申請したらすぐ通るだろうな。しかも何億ももらえるかも。『戦争心理学』なんて本もたくさん出るだろう。 徴兵制も復活するかもしれない。ニート対策としては案外いいかもしれない。若者は逞しくなるだろう。 日本人は、過去の歴史をみても本気になるとかなりのことをやってのけるから、反動で相当な軍事国家になるかもしれない。 逆にアメリカに牽制されたりしてね。 未来のことはわからない。 だから未来なのだ。 ただし,歴史を見ても世界が安定したことなどほとんどないのだから、今の安定状態はむしろ例外的なものとみるのが妥当なところだろう。 そう考えると今の僕らの生活は歴史上多くの人が望んだ幸せ以上のものといっても良いかもしれない。 しかし、ボケているひとがボケていることに気づけないのと同じように,幸せボケしている僕らは幸せボケしていることに気づけない。 もし神さまなるものがいるとしたら、なぜ人間をこんな愚かな存在に作ったのだろうかとか,思ったことがある。 それに対する,構造主義生物学的見解はこうなるかな。 テキトウにそういうシステムにボンってなっちゃったものがたまたま生き延びているんだよと。 じゃあ,それなりにやっていく他はないってことですな。