ミシン・雑誌の広告から時代がみえる。
古書市でほそぼそとあつめた本から、あこがれ(笑)のミシンの広告をひろってみました。戦前から、婦人こども服に代表されるふだん着は家庭で作るかたが多かったようですが、手縫いの和裁の割合が高かったものが、戦後は深刻な衣料不足と活動的な洋服のニーズが大きくなったうえ、家計の助けにもなるということで洋裁を習う女性の人口が爆発的に上昇したそうです。ミシンは一家に一台、なくてはならない必需品でした。昭和12年(1937年)の婦人倶楽部付録より。現代のジャノメミシンが部品まですべて国産のミシン第1号を発表したのが昭和4年(1929年)ということですから、日本製ミシンの普及はそれほど昔のことではないのですね。戦後の洋裁ブームの時期はミシンメーカーも百花繚乱。昭和34年(1959年)「婦人生活」誌でリッカーミシンを前にポーズをとるのは知的美人・若き日の竹腰美代子さん。同じく「婦人生活」に掲載されたシンガーミシン広告。戦後家庭用ミシンの名機・シンガー191U。画像ではつぶれてみえませんが、価格28,000円とあります。同誌上の「家計公開コーナー」でディンクスの若夫婦(ともに郵便局勤務)の月収がご主人13,000円奥さん11,000円、大卒のエリート銀行員の男性が月収22,000円と記載されているところからみると決してお安い買い物ではないですね。戦後の復興期をむかえつつある昭和27年(1952年)主婦の友付録より。当時ミシンの最高峰はやはりシンガー、国産メーカーは追いつき追いこせと競合なさっていた時期でしょうか。ブラザーミシン広告。ブラザーの前身は「安井ミシン兄弟商会」、文字どおり安井ご兄弟が設立した会社なので「ブラザー」、ブラザーの製品か、同業他社か未確認なのですが「シスター」という銘柄のミシンもあったそうです。リズムミシンは中島製作所のブランド。中島製作所は戦時中は中島飛行機として、伝説的な陸軍の戦闘機・「隼(はやぶさ)」の設計・開発担当していました。ほのぼのしたパインミシン広告。「パインミシン」はジャノメの初期のネーミングですが、上にあげたように、戦前の1937年の段階で「蛇の目ミシン」となっているので、このパインミシンがジャノメか、他社なのかは不明。この子たちの着ている服もお母さんのお手製かなとイメージします。さかのぼって(笑)、昭和7年(1932年)婦人倶楽部付録の表紙。和服でミシンがけするお母さんをみつめる女の子は洋服。当時のありふれた光景でしょうか。お母さんが作っているのは洋服、それとも和服?気になります(^^)。上の付録の本文グラビア。当時の有名百貨店が競って発表した最新モード。もちろん作り方が載っています。小さなモボ・モガ(^^)。にほんブログ村