夏目漱石「坊っちゃん」「草枕」
「猫」は子供の頃読んだと思いますが、意識してきちんと夏目漱石を読むのは、恥ずかしながら初めて。「坊っちゃん」を知人に借りたので読み、その後にどうせならもう一冊漱石を読もうと、「草枕」を選びました。「坊っちゃん」は、漱石には英国留学時代のことや大文豪の先入観があったのですが、想像と違い読みやすい。自分が興味を惹かれる題材でなかったせいか、ちょっと物足りない印象。落語調の語り口は読んでいて楽しい。『当人がもとの通りでいいと云うのに延岡下りまで落ちさせるとは一体どう云う了見だろう。太宰権帥でさえ博多近辺で落ちついたものだ。河合又五郎だって相良でとまってるじゃないか。とにかく赤シャツの所へ行って断わって来なくっちあ気が済まない。』『議論のいい人が善人とはきまらない。遣り込められる方が悪人とは限らない。表向きは赤シャツの方が重々もっともだが、表向きがいくら立派だって、腹の中まで惚れさせる訳には行かない。金や威力や理屈で人間の心が買える者なら、高利貸でも巡査でも大学教授でも一番人に好かれなくてはならない。中学の教頭ぐらいな論法でおれの心がどう動くものか。人間は好き嫌いで働くものだ。論法で働くものじゃない。』「草枕」は面白かった!『山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所に引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。矢張り向う三軒両隣りにちらちらする唯の人である。唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりも猶住みにくかろう。』この素晴らしい書き出しを始め、文章自体の魅力に引き込まれました。漢文が随所に引用され、注釈を読んでも理解が難しいほど。例えば、『ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧く。着想を紙に落さぬともの音は胸裏に起る。丹青は画架に向って塗抹せんでも五彩の絢爛は自から心眼に映る。ただおのが住む世を、かく観じ得て、霊台方寸のカメラに澆季溷濁の俗界を清くうららかに収め得れば足る。この故に無声の詩人には一句なく、無色の画家には尺なきも、かく人世を観じ得るの点において、かく煩悩を解脱するの点において、かく清浄界に出入し得るの点において、またこの不同不二の乾坤を建立し得るの点において、我利私慾の覊絆を掃蕩するの点において、――千金の子よりも、万乗の君よりも、あらゆる俗界の寵児よりも幸福である。』自分の好きなシェリーの詩も『雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。魂の活動が声にあらわれたもののうちで、あれほど元気のあるものはない。ああ愉快だ。こう思って、こう愉快になるのが詩である。たちまちシェレーの雲雀の詩を思い出して、口のうちで覚えたところだけ暗誦して見たが、覚えているところは二三句しかなかった。その二三句のなかにこんなのがある。We look before and afterAnd pine for what is not:Our sincerest laughterWith some pain is fraught;Our sweetest songs are those that tell of saddest thought.「前をみては、後えを見ては、物欲しと、あこがるるかなわれ。腹からの、笑といえど、苦しみの、そこにあるべし。うつくしき、極みの歌に、悲しさの、極みの想、籠るとぞ知れ」』意味がきちんと分からなくても(自分はいつもあまり注を見ずに読むことが多い)そのまま読み進めたい、ずっと読んでいたい、終わって欲しくない、と思いながら読んでいました。話は、画家が旅先で出会う人、自然を描いて、物語の展開が特にある訳ではなく、随筆のよう。かといって物足りなさは全く感じませんでした。『西洋の詩は無論の事、支那の詩にも、よく万斛の愁などと云う字がある。詩人だから万斛で素人なら一合で済むかも知れぬ。して見ると詩人は常の人よりも苦労性で、凡骨の倍以上に神経が鋭敏なのかも知れん。超俗の喜びもあろうが、無量の悲も多かろう。そんならば詩人になるのも考え物だ。』このように、深刻になり過ぎないのも読みやすく感じたと思います。熊本が舞台であることは読むまで知らなかったですが、ちょうど全日本参加のために熊本へ行った後だったのも想像が膨らみよかった。自転車乗りには馴染み深い羊羮についても『余はすべての菓子のうちでもっとも羊羹が好だ。別段食いたくはないが、あの肌合が滑らかに、緻密に、しかも半透明に光線を受ける具合は、どう見ても一個の美術品だ。ことに青味を帯びた煉上げ方は、玉と蝋石の雑種のようで、はなはだ見て心持ちがいい。のみならず青磁の皿に盛られた青い煉羊羹は、青磁のなかから今生れたようにつやつやして、思わず手を出して撫でて見たくなる。西洋の菓子で、これほど快感を与えるものは一つもない。クリームの色はちょっと柔かだが、少し重苦しい。ジェリは、一目宝石のように見えるが、ぶるぶる顫えて、羊羹ほどの重味がない。白砂糖と牛乳で五重の塔を作るに至っては、言語道断の沙汰である。』今の梅雨空に『ただ降る雨の心苦しくて、踏む足の疲れたるを気に掛ける瞬間に、われはすでに詩中の人にもあらず、画裡の人にもあらず。依然として市井の一豎子に過ぎぬ。雲煙飛動の趣も眼に入らぬ。落花啼鳥の情けも心に浮ばぬ。,蕭々として独り春山を行く吾の、いかに美しきかはなおさらに解せぬ。初めは帽を傾けて歩行た。後にはただ足の甲のみを見詰めてあるいた。終りには肩をすぼめて、恐る恐る歩行た。雨は満目の樹梢を揺かして四方より孤客に逼る。非人情がちと強過ぎたようだ。』青空文庫今日のツール・ド・フランスはボーネン強かった!!!