5・3記念各部協議会での名誉会長のスピーチ(中)
一、わが身をかえりみず、友のため、地域のために、広宣流布の道なき道を開いてきた功労者の方々は、皆、本当に、いい顔をしておられる。不思議なものだ。 虚栄と我欲の心卑しき顔とは、全然、違う。魂が光っている。人生の風雪を信心で乗り越えた人ならではの、風格があり、温かさがある。福徳が満ちあふれている。 何があっても、学会とともに!・・・こくいう真っすぐな、真面目な信心の方々がおられるからこそ、学会は勝ってきたのである。一、正しき仏法を実践すれば、必ず大難が競い起こる。その時こそ、信心強く、信念固く、大勇を奮い起こして、難に挑んでいくのだ。 その人に、三世にわたる勝利の栄冠が輝く。天台大師は、「信力の故に受け念力の故に持つ」と説いた。日蓮大聖人は、この文を引かれつつ、四条金吾に教えておられる。 「大難が来ても、この法華経を常に思い持って忘れない人はまれである。法華経(御本尊)を受けることはやさしく、持ち続けることは難しい。そして、成仏は持ち続けることにある」(御書1136ページ通解) 妙法は、わが生命に、三世にわたる幸福を開きゆく絶対の法則である。ゆえに「此経難持(此の経は持ち難し)」と説かれるこの妙法を受持し抜くことこそ、人間として最極の信念の生き方である。何かあるとすぐ粉動され、動揺する。それでは「信念」ではない。「信心」ではない。一、大聖人は、いざという時に、信念を貫き通した門下を、最大に讃え、励ましていかれた。 佐渡の弟子である阿仏房・千日尼の夫妻は、流罪の身であられた大聖人のもとに食事を運ぶなどして、懸命にお守りした。そのために、所を追われ、罰金を処せられ、家を取り上げられるなどの難を受けたが、毅然と信心を貫いていった。 大聖人は、千日尼にあてて、こう御手紙を記されている。 「地頭という地頭、念仏者という念仏者らが、日蓮の庵室に昼夜に見張りを立て、通う人を妨げようとしたのに、阿仏房に(食事などを入れた)櫃を背負わせ、夜中にたびたび訪ねてくださったことを、いつの世に忘れることができようか。ただ日蓮の亡き悲母が佐渡の国に生まれ変わったのであろうか」(同1313ページ通解) ”わが母の生まれ変わり”とまで、讃えておられるのである。大聖人を慕う夫妻の真心は、大聖人が佐渡を離れられた後も、いささかも変わらなかった。阿仏房は、老齢にもかかわらず、何度もご供養の品々を携えて、身延の大聖人を訪ねている。そして、夫妻の純粋な信心は、後継の子どもにも、そのまま受け継がれていったのである。一、一方、大聖人が佐渡に流罪されている間、鎌倉の弟子たちにも、大弾圧の嵐が吹き荒れ、多くが退転していった。そのなかで、女性の門下である妙一尼は、勇気ある信心を徹し抜いた。 妙一尼は、大聖人の佐渡流罪中に、夫を亡くした。子どもたちも幼く、なかには病弱な子もいた。自分自身も決して丈夫ではない、加えて、生活の糧である所領も奪われる難を受けた。どれほど心細かったことか。しかし、その厳しさ極まる状況の中でも、妙一尼の信心は少しも揺るがなかった。 佐渡へ、また身延へとご供養をお届けし、自らの大切な従者を遣わし、仕えさせるなど、大聖人を真剣にお守りしていった。このけなげな女性に対して、大聖人は、こう仰せになっている。 「(法華経のために迫害された)聖霊(亡くなられたあなたのご主人)は、(命を捨てて仏になった雪山童子や薬王菩薩と)同じ功徳があるのです。亡くなったご主人は、大月輪(月)の中か、大日輪(太陽)の中か、天の鏡の中にあなたがた妻子の姿を浮かべて、一日中、見守っておられることでしょう。あなたがた妻子は凡夫ですから、これを見ることも聞くこともありません。(中略)しかし、決して疑ってはなりません。(成仏したご主人は)必ず(あなたがたを)守っておられることでしょう。それだけではなく、さぞかし、あなたがたのもとへ来られていることでしょう」(同) まさに、心のひだの奥深くに染み込むような、一言一言である。この、こまやかな励ましが、どれほど妙一尼の支えになったことか。 「冬は必ず春となる」(同1253ページ)との有名な御聖訓をいただいたのは、まさに、この妙一尼であった。一、きょうは、いつも私どもが大変お世話になっている。女性の看護者の「白樺会」「白樺グループ」の皆さまも出席されている。 「白樺」の名前は、まことに美しく、意義深い。 私は、ロシア最高峰のモスクワ大学から丁重な招聘を受け、1994年の風薫る5月、同大学を訪れた。 講演のあと、サドーヴニチィ総長が案内してくださり、私と妻は、校内の植物園で、記念の植樹をさせていただいた。それが、ロシアで最も愛されている「白樺」の苗木であった。私は感謝し、総長に申し上げた。 「木を植えることは、いのちを植えることです。心の『根』と『根』を結ぶことです」と。当時、腰の高さほどであった苗木は、嬉しいことに、今や見あげるばかりの大樹と育った。なお、たっての要請を受け、モスクワで本年、私の「自然との対話」写真展が開かれることをご報告申し上げたい(大拍手)一、ロシアでは、白樺は、5月になると、みずみずしい緑の葉を生い茂らせる。秋には、鮮やかな黄金色の葉に変わる。 白樺はまた、寒さや暑さに強く、荒涼とした大地にも、たくましく根を張る「パイオニア(開拓者)の木」としても知られる。 ロシアでは、「太陽のエネルギーを蓄え、そのエネルギーを与えてくる木」「側に立つと、心身ともに癒される木」「成長と蘇生の象徴の木」、そして「悪から守ってくれる幸福の木」などとされ、「ロシアの心の象徴」として、親しまれている。 こうした白樺の特質は、いずれも、私が妙法の看護者の皆様方が、日々、体現されている「抜苦与楽」の力用に通ずる。私たちも、白樺の木のごとく、強く、やさしく、人々の苦しみを癒し、慈愛を注ぐ存在でありたい。 「白樺会」「白樺グループ」の皆さまの献身の姿に、私も妻も、全同志を代表して、改めて感謝申し上げたい(大拍手)。一、以前もスピーチしたが、「白樺」の皆さまにちなんで、ナイチンゲール(1829~1910年)の話をしたい。 ナイチンゲールの教え子たちが、それぞれの職場で活躍することによって、師の偉大さが証明されていった史実は有名である。 教え子たちは、イギリスの主要な病院や療養所の「総婦長」「婦長」などの要職に続々と就任した。さらに、その足跡は、カナダやアメリカ、ドイツ、スェーデン、インド、スリランカ、エジプトなど、世界各地へと広がっていった。 そうした教え子の活躍を、ナイチンゲールは、なによりも喜んだ。たとえば、教え子の一人、レイチェル・ウィリアムズについて、こう綴っている。 「彼女は嫉妬・けちくささなどを超越した高貴な性格をそなえ、特記すべき知性の持ち主である。・・・自分を監督する人たちとも、自分の監督下にある人たちとも、ひとしくすぐれた人間関係をかちえている女性がここにあるのは、だぐいまれな事例であろう」(Z・コープ著、三輪卓爾訳『ナイチンゲールと六人の弟子』医学書院) ナイチンゲールの教え子たちを、勤め先の病院の側も非常に高く評価していた。教え子のアリス・フィッシャーが病院を移る時、それまでの勤め先は、こう決議して彼女を送り出した。 「フィッシャー嬢が病院の婦長として在職した五年間、よく職務を遂行せられ、諸委員に完全な満足がゆく成果を収められた旨の証言をすることを深い喜びとするものである」(同) うれしいことに、白樺の皆様方も、日本中、世界中で、それぞれの職場で、信頼され、感謝され、「なくてはならない人」「いてもらいたい人」として、厳然と光り輝いておられる。 「白樺会、万歳!」「白樺グループ、万歳!」「白樺の世紀、万歳!」 そう私は、声を大にして叫びたい(大拍手)(下に続く)