親が子に語る仏教童話 竜になった魚
あるお山のおくのおくに りゅうもんという たきがありました。そのたきは とてつもなく高く どぉぉう どぉぉうと音をたててまるで いかりくるったばけもののように はげしいみずしぶきを あげていました。 このたきには たくさんのさかなが あつまります。 たきをのぼりきれば 自由に大空を飛びまわれる竜に なれるからです。 でも だれも のぼりきることが できません。 流れがはげしくて おし返されてしまうのです。そればかりではありません。わしやら たかやら ふくろうが 大きなつめと くちばしでもってくらいついて くるのです。 もっとこわいのは 人間で あみいいやら ゆみやら わなでもって とっつかまえては もちかえり にたり 焼いたり するのです。 たきの近くに入り江があって ふなの親子が住んでいました。 ふなのお父さんが いいました。 「竜になんか なることはない」 ふなのお母さんが いいました。 「この入り江から 出るもんじゃない」 けれども ぼうやは ちがっていました。 「ぼくは たきのぼりに ちょうせんしたい。そして りっぱな 竜になりたい」 ぼうやは とうとう 入り江をとび出し そびえ立つりゅうもんに 立ち向かいました。 入り江から お父さん お母さんが なみだ声で よびます。 「かわいいぼうや もどっておいで」 たたきつける水が おそろしくて 入り江に 帰りたくなりました。 けれども 勇気を ふりしぼりました。 「ぼくは 負けない!前に進むぞ!」 水をかきわけ のぼっていくと 大きな はやぶさが おそってきました。するどいくちばしで 背びれを くいちぎります。 いたさで およぐことができません。でも とまったら 食べられます。 「負けるもんか!進みつづけるぞ!」 さらにのぼると 人間のしかけた あみが はってありました。あみをさけるには もっとも ながれの はげしいところを つき進まなくては なりません。 ごつごつの岩が 胸びれを 引きちぎり ぼうやを このうえなく いためつけました。 それでもふなは 泳ぐことを やめませんでした。 目の前が ぱっと明るくなり 真っ青な空が広がりました。 ぼうやは もう 光かがやく りっぱな竜に なっていました。 力強く どこまでも ぐんぐんのぼり 天空のはてまでも まいとびました。 さく 森野さかな★おうちの方へ 仏教童話「竜になった魚」は、竜門の滝を題材にしています。 竜門は、中国の黄河中流域にあるとされる滝で、流れが急で、魚などが登ることは困難ですが、ここを登った魚は竜になるといわれていました。「登竜門」という言葉もここから生まれたようです。 日蓮大聖人は、上野殿御返事(別名、竜門御書。御書1560ページ)で、次のように仰せです。 「仏になるみち・これにをとるべからず、いをの竜門をのぼり・・・・」(同ページ)。魚が竜門を登り切って竜になるのが困難であるように、人が成仏の境涯に到達するには、数々の障魔と戦い、勝つことが必要です。 日々の人生にあっても、一度決めた目標を達成するためには、数々の困難に見舞われるものです。 しかし、苦難に直面したとき、挑戦の心を失えば、夢の実現も目標の達成も叶いません。 いかなる困難や苦境があっても、まっすぐに目標を見つめ、勇気を奮い起こし、半歩でも一歩でも前へ進んでいきたいものです。人気blogランキング参加中