とある会社での社員生活、最後の日(の前夜)
奴隷解放時刻までとうとう24時間切りました。うれしいのに、いろんな不安がよぎって落ち着きません。生活の不安?うーん、それもなきにしもあらずなのですが、「果たして本当にこの会社を去ることができるのか」それが、まだ心の底から確信として信じられないのです。明日、突然だめだしをくらったり・・・とか。。なんで私がこんなことを心配しているかというと、やめて社員でないことは認められたけど、後任の人が覚えるまでサポートをすることになっているから。そして、営業担当が後任の人をお客さんに引き合わせるまで、「いる」ことにしておかなければいけないから。周囲は誰も私が明日が最後、ということを本当だと思っていない雰囲気・・。ちゃんと退職願いを出しました。受理されました。そして社員が参加するミーティングでも、ちゃんと期日を告げられました。荷物も片付けました。書類も片付けました。私物は持って帰る準備が完了しています。あ、そうだ、データ整理がまだだからだ!明日、絶対やっとこ。後任が覚えたら、その場ですぐ退場できるように。すぐ退場・・・。といえば、今日は、後任から「信じられない」ような話を聞いて、身の毛がよだつ思いを味わい、腹の底で怒りくるっていたのです。顔は笑っていたけれど。・・・・実際、私も生活があるから。生きていかねばならないし、家賃も食費も生きていくために必要なお金を払っていかねばならないし。なんでもかんでも繊細に真に受けていたら、生きていけません。忘れて流すしかありませんし。そう思ってみると、こういうこと言ってしまう程度の人だから、今のこの仕事や今ののこの会社と縁ができてしまったのかも、と気の毒な気がします。で、おなかがぱんぱんになるまでご飯を食べて満腹にして、忘れることにしました。上場企業や有名・名門、お金持ち企業につとめていたら私のような弱小制作プロダクションで働く編集者の立ち場の弱さや労働環境の劣悪さはまったく想像もつかないと思います。だからこれはいい機会、私はこの「いったいなにがどうしてつらかいのか」を細かいことでも、なるべくこの日記に記しておこうと思いました(お客さんのことは具体的にはもちろん書きませんでした)。私は自分から望んで、そんな苦しいと分かってる現場ににっこり笑って入っていったので、出るときも追い出されるのではなく、一生懸命、働いて、働いて、にっこり笑って去りたいと思っています。でもやっぱりこれ以上つきあうと壊れる(つうかもう限界超えた)、としったところで、笑って去れるかどうかぎりぎりのところって感じです。働いてるときも大変な日々だったけど、辞めるときもそれはそれで大変です。次の職場ではきっと同じことは起きないと予想していますので、もうこういうことを書くのは、今日が最後だと思われます。自分が受けているストレスと向き合い、プレッシャーと不安をちゃんと認めて、24時間、どうか無事にすごせますように!※写真は、今年の春に上野動物園で撮影したバクがいる檻。夢を食べてくれるというバクに、この10か月間に起きた現実の悪夢を全部食べてもらいたいよー。でもバクはどうも檻の一番奥の小屋に入っていて、真っ黒だしよく見えないのです!違う動物が前をうろうろ・・・。