「一刀斎夢録 上」…
一刀斎夢録 上真剣勝負に名利は何もない。死にゆく者と生き残る者のあるだけじゃ。すなわち正々堂々の立ち合いなどあろうものか。おたがいひとつしか持たぬ命のやりとりじゃによって、卑怯を極めた者の勝ちじゃよ。「飲むほどに酔うほどに、かつて奪った命の記憶が甦る」―――最強と謳われ怖れられた、新選組三番隊長斎藤一。明治を隔て大正の世まで生き延びた“一刀斎”が近衛師団の若き中尉に夜ごと語る、過ぎにし幕末の動乱、新選組の辿った運命、そして剣の奥義。新選組隊士吉村貫一郎、彼のことを知る人物たちを取材して話を聞いていくことで多角的にその人となりを現した名作「壬生義士伝」。その証言した人たちの中で一際異彩を放っていた斎藤一こと“一刀斎”が問われるがまま語るその激動の半生は、聞き手の中尉ではないですが読み進めて行くうちにまさにあの混乱を極めた幕末の時代を見ているかのような怖いくらいの現実味があるものでした。現代でこそ時代を経たことで発見された資料によりおそらく正しいであろう当時の状況を知ることが出来ますが、明治から大正へと移り変わる物語の当時には、勝者の都合を押しつけられた歴史教育と講談師の弁でしか知ることが出来なかった時代なだけに、当事者による語りの中に込められた、静かな中にも力ある魂の雄叫びを感じました。さらには御一新以前の武士の生き方や状況を、その時代の常識と照らし合わせて語ることによって見えてくる当時の姿は、真偽はともかくこれまで見知ってきた現代の歴史観すら一変させるような危ういものもあり、断片的な事実をいくら積み上げようと真実の姿は見えてこないということを改めて思い知りました。