「月下の恋」その7、求哀…
闇の中は深く、とても冥い…。そこになにかが潜んでいたとしても不思議はないでしょう…。あの人を待ち続けて、もうどれくらい経ったのでしょう。幾度となく季節は巡り、眠れぬ夜を越えて、今日もまたわたしは待ち続けています。一日千秋の思いで、千秋は万冬になり、万冬は億春へ、億春は兆夏へともうすでに数え切れぬ日々をずっと愛しいあの人を待ち続けています。あのときに交わしたかけがえのない約束、それだけを胸に、わたしはいつまでも待ち続けます。花は咲き誇り、千々に乱れ、葉は芽吹き、儚く散り行くのを繰り返しても、あの人を見舞った苦しみを思えば待ち続けることに迷いはありません。あの人は言いました、必ずわたしを迎えに行くと。その言葉が胸にある限り、わたしは刻を越え、輪廻を超えて、いつまでもあの人を待ち続けます。今では、あの約束がどのようであったのか辛うじてしか覚えていません。ただ、どのようなものであれ、あの約束はかけがえのないものだったと、それだけは覚えています。あの人の名前も顔も声も体温もにおいも、そして自分の名前すらも思い出せないくらいわたしは待ち続けています。このわたしの胸に宿るこの想いだけを支えに、いつまでも待ち続けるには時の流れはとても早いものでしたが、あの人に焦がれる思いを毎日塗り重ねてわたしはここで待っています。この枯れることのない、あの人への想いは愛なのでしょうか、それとも呪いなのでしょうか。夢か現か、それすらもわからなくなるくらい永い間、あの人がきっと来てくれるものと信じて、今日も約束のこの場所で待ち続けています。こうして待ち続ける間に、この約束の場所に何人もの人が訪れました。誰かが来るたびに、あの人かと期待するのですが、何度となくその希望は打ち砕かれてきました。ここに来る人のほとんどがわたしの姿に気付かず、睦みあう二人がここで愛を語り合う姿は、まだ幼かったわたしとあの人の幸せだったかけがえのない記憶を呼び覚ますようで、今はただ待つだけのこの身を儚んで消え去りたくなってしまいます。もう呼ばれなくなって久しいわたしの名前ですが、ふとしたはずみに誰かに呼ばれたような気がしたかと思うと、その間の記憶はわたしの中からすっぽりと抜け落ちてしまっています。あの人を待ち続けて数え切れぬ時間の中で、ほんのわずかばかりの欠落なので、わたしにとっては待ち続けることを思い出すのはあの人に会えない悲しみを募らせるばかりなので過去を振り返るよりも、今にもあの人がわたしの下に来てくれるかもしれないという望みに胸を膨らませて待っているのですが、その都度わたしの下に訪れるのは、徳を積まれた人たち。その人たちだけにはわたしの姿が見えるらしく、わたしに向かっていくつか問答を行い、祓おうとするのですが、わたしはこの約束の場所に縛られた想い。あの人にしか、わたしをこの地から解き放つことはできないのです。そう、うすうすは気付いていたのです。いくらわたしがあの人のことを思って、いつまでも待ち続けようともありえないくらいの日々が過ぎ去ってしまっているということを。わたしは現し世に生きているのではなく、幽り世に生きていることを。それでもいつの日か、あの人が約束を思い出したとき、この場所に待っている人がいないと気付いたときのことを思えば、たとえこの身が朽ち果てようとも、この想いを消し去るわけにはいかないのです。ただただ愛しいあの人との邂逅を果たすためだけに、わたしはいつまでもこの地に留まり続けているのです。いつの頃からか、わたしのこの想いがあの人に届くよう語りかけるようになりました。「ねぇ、思い出して。約束のあの場所を、私の名前を。 あの場所で私はいつまでもあなたを待ち続けるわ。 例えこの身が朽ち果てようと、あの忘れな草の伝えの ようにこの世に証は残せなくても、あなたへの つきせぬ想いは消し去ることはないでしょう。 凍れる刻の中を私はいつまでも待ち続けるわ。 ねぇ、思い出して。私の愛したあの花を。 あの花が咲き乱れる美しき約束の場所、そこで 私は待っている。幾重にも織り込まれた記憶を 紐解いて、あの約束を思い出して。 あなたになら出来るはずだわ。だってあんなに固く 約束したんだもの。あなたが約束の場所を思い出した 時、私の凍った時間は再び刻を刻み始めるわ。 ねぇ、思い出して。約束のあの場所を、私の名前を。 そう、約束の場所、私の名前は……。」わたしの想いはきっとあの人に届いているはずです。あの人がこの約束の場所に来るまで、いつまでもわたしは待ち続けます。「月下の恋」