引きこもり(レンタルお姉さんの評価)
スロースタートというNHKドラマ見た。1ヶ月ほど前にやってたのかな。原案は、荒川龍の「レンタルお姉さん」。話題になってた本ですね。(このタイトルで、最初、変な想像をした男子は、私だけではないっ!)引きこもりの子を持つ親が、NPO団体に何とか子供の引きこもりを直してほしいと依頼します。そして、その子の家に派遣されるのが、レンタルお姉さん。極めてまじめな作品です。自分が引きこもりになること、自分の子供が引きこもりになること、絶対、「自分はない」って否定できる人、いませんよね。でも、自分の身の回りにいなかったり、自分が経験してなかったりすると、そんなことが起こるなんて考えもしない。遠い世界の出来事に考えてしまう……そして、自分に降りかかってきて、初めてうろたえる。どうしてなんだって……私は引きこもったことはありません。でも、人と会うことが嫌いだから、半引きこもりだったかもw一人でいるのが大好きで、人と、特に「住む世界」の違う人と関わるのがすごく嫌だった。(私の住むのは、王道ではない方の世界です。裏道ですwメジャーよりサブカル、ゴールデンタイムより深夜のNHKですw)会社入ったばかりの頃は、仕事が終わったら即、寮に帰ってゲームです。人と接してるのが疲れるし、笑顔を作るのはもっと疲れるから。その傾向は今も残ってて、飲み会がつらいつらいw何とか慣れようと、年に数回出るんですが、そのあとはぐったりorz死んでますw最近は、人と接するのも、愛想笑いも結構平気にできますが、飲み会だけは無理ですねぇ……ドラマの中で、こんな台詞がありました。「人間の感情もさびるんですよ。 人と会わなくなって、部屋に一人きりでいると、 だんだん、感情がさびていくんです。 笑うことも、怒ることもうまくできなくなって、 能面みたいになってしまう。」……その状態は、悪いんでしょうか。感情がさびてても、普通に生きていられるなら、問題ないんじゃないでしょうか。むしろ、さび付いた方が、苦しくなくて良いんです。今、私は、さび付いた感情が動き出したから、苦しいことが多い。笑うことも、怒ることもなく、能面のような顔で生きているのが、とても楽なことだと私は知っています。ただ……社会不適合ですが……wドラマの中で、お姉さんが言いました、働かなくていいんなら、働かなくていいんじゃないかって。その通りだと思いました。でも、『働かなくてはいけない』んです。日本国民には、教育・勤労・納税の義務があるから。働ける体で、働かないのなら、日本から出て行けと言われても仕方ないのです。誰が面倒を見てくれようと、お金がいくらあろうと、『働かなくてはいけない』んだと、義務なんだと。ドラマの中で、NPO法人を取り仕切る人が言いました、引きこもりは病気じゃない、と。そうでしょうか。。。私は病気だと思います。人間は「社会」を形成して生きています。その「社会」形成に上手く関われない人間は、「病気」とみなされても仕方ないのではないでしょうか。だから、飲み会に出席してる時の私は「病気」です。なかなか溶け込めないし、溶け込めても苦しいし、相当の心的負担を強いねば、その場にいることができないのですから。「病気」だから、治すことができるのかも知れません。「病気」だから、逆に治らないこともあるでしょう。でも、「病気」だから、誰がいつ、それに関わるか、分からない。。。心がずっと健康で生きてきた人には、分からない話だと思います。私にも、引きこもりの人の気持ちは分かりません。私が知っているのは、「笑顔を作る」ことが、私にとって相当つらいことであって、そこから察するに、彼らだって『分かっているけどできない』んだろうなと。「甘えてる」と引きこもりを一蹴するのは簡単ですし、まったくその通りだと思います。甘えてるんです。でも、社会(自分も含め)は、あまりに包容力を失っている。画一化した「適合な」人材を求めすぎる。「不適合な」人に対して、社会システムは(自分も含め)冷たすぎる。それは、効率を追求し、利潤を追求し、幸せを追求し続けてきた、地球全体としての、病気でしょう。私は、非効率が大嫌いです。頭の悪い人も大嫌いです。でも、必ずその考えは、しっぺ返しを食らうと信じています。だからこそ、その病気(私の考え)を早めに治したいと考えています。http://www.nhk.or.jp/dodra/↑「スロースタート」NHKドラマのホームページ。掲示板があって、興味深かったりする。↑こちらは、ドラマの原作???よく分からん……上の本とは作者が違うようだが。