通訳という職業
5月25日は聖火リレーが蘇州に来た日です。特別見に行くつもりはありませんでしたが、気が向いたら散歩ついでに、雰囲気を味わいにいっても良いかなと思っていたのですが・・・朝9時半に起きましたが、早々に蘇州新区の聖火リレーは終わっていたようで・・・結局聖火を拝むことはもちろん、雰囲気さえも味わうことなくただの平凡な日曜日となりました。珍しく連日更新をしているこのブログ、お気に入り登録させていただいて3年以上のお付き合いになる『あんこぱんつさんの世界』から、ネタを拝借。あんこさんと知り合ってからお互いの環境は随分変わりました。自分は当時日本語教師でしたが、今は道に迷った挙句、会社員。あんこさんは当時日本で、禁煙活動を自分にも押し付けようとしていましたが、今では中国北方で語学留学中。さて、そんなあんこさんから勝手に拝借したネタは『通訳』。うちの会社にも通訳がいます。正確な人数は把握していませんが、おそらく20名前後はいるのではないでしょうか。でも、実際に本当に「できる通訳」となるとやはり少ないように思います。「言葉を訳す」ことができる通訳さんは多くいますが、「話し手の意思を表現する/伝える」ことができる通訳さんは非常に少ないと思います。日本人はとかく行間に意味を持たせ、はっきり指摘せずに相手に気付かせるような話し方をする場合が多い。そうすると、通訳さんは文字通りには訳しているものの、話し手と聞き手に絶対的な不理解の溝が生まれる・・・通訳さんの表情や聞き手の表情で話し手は、ある程度自分の意図が伝わっているかを読むことができます。でも、通訳さんが堂々と「何か」を話して、その「何か」に相手が頷いている姿を見ると、実は自分が話した内容と微妙に違っていても気がつかない。何かの具体的な業務指令であれば、自分の伝えた内容が正しく反映されているか、提出された書類などで確認はできます。でも、それが方針や訓示のような中・長期的なビジョン説明などだと、相手の理解の度合いをなかなか形にして確認できない。結果、双方に理解のギャップができてしまう・・・現場を知らない通訳さんが現場と関わる会話の通訳をしても、それは伝言ゲームのようになってしまったり・・・なかなか結論が出てこず、阿吽のリズムで指示詞が意味もなく出てくる内容では、通訳さんも何を言いたいのか理解ができなかったり・・・言葉の表面だけを訳してもちんぷんかんぷん。海賊版DVDでたまに見かける自動翻訳ソフトがいい例です。相手の言葉を理解し、相手の考え・意図を自分の言葉で消化し、自分の言葉で説明ができるかどうか。幸い自分はまだまだとは言え、双方の声、通訳の難しさなどを比較的他の人よりもリアルに感じられます。そういう意味では、『通訳』というこのポジションに関して、これからもう少し自分の中で煮詰める価値があるかなと思いました。まだまだブログを書きながら、この『通訳』に関して煮詰まっていない・自分の言葉で消化できていないと実感。このブログを消去しようかなとも思いましたが、きっかけということで、備忘録的にアップしておきます。今日もDVD鑑賞。2002年に放送されたという『相棒』。既にシーズン6まで出ていて、今日本では映画が大人気のようですが、自分はつい最近知りました。人気blogランキング