誰が北朝鮮の「悪癖」を放置したのか
北朝鮮の開城(ケソン)工団は2002年着工された。韓国と北朝鮮の合作形態で作られた開城工団の夢のような未来は、希望に満ちていた。工団が完工される2010年には、南北及び外国企業が2,00社以上誘致され、25万人を雇用して、年間150億ドルを生産するとのことだった。北朝鮮の開城は、製造・金融・商業・観光が同居する世界的国際自由都市として育成され、「韓国の長期的な成長力を保障する突破口」になるというものだった。目標年度が来年となった今年、開城工団には104社の韓国企業が入居し、北朝鮮労働者約39,000人を雇用している。2005年から今年4月までの累積生産額は、総額5億7400万ドルである。工団造成のために、韓国政府と入居企業が6億ドル近く投資した。追加として、鉄道と道路、付属物流団地の構築、工団敷地の造成、電力供給、通信などのために、7億ドル以上の資金が韓国政府から支援された。現代峨山(ヒョンデアサン)は開城地区で、開発独占権利金として6億ドルと施設投資の為に4,000万ドルを出費し、50年間の敷地賃貸料として1,600万ドルが、既に北朝鮮に支払われた。このように、韓国は固定費用だけでも、20億ドル以上を北朝鮮の開城工団に投入したのである。しかし、北朝鮮は開城工団の契約無効を宣言して、「6・15を否定する者たちに、6・15の恵沢を与えることはできない」と主張した。しかし韓国の利益は、韓国経済から何時かは消滅する斜陽業種の一部企業が、北朝鮮の低賃金を頼って延命するだけのものである。こういった会社は北朝鮮の事情で投資損失を被ったら、政府の南北協力寄金で設備投資額の90%を保障してもらえる。韓国経済には大きな打撃でも、北朝鮮には大きな利益だった。北朝鮮は労働者1人当たり1カ月平均73ドル、1年に総計で約3,500万ドルを、賃金収入として獲得する。この資金が家計消費を通じて他の経済活動に繋がったら、北朝鮮の所得はそれだけ増大して、所謂、乗数効果も誘発されるだろう。しかし、これまでの韓国政府の発表やその他の情報によると、北朝鮮労働者は賃金の内の30~35ドルだけが公式の北朝鮮為替レートである150ウォンの適用を受けて支給されたとのことである。しかし北朝鮮の闇市場の為替レートが1ドル当り2,000~3,000ウォンなので、北朝鮮労働者に2ドル位だけ支給して、残りは北朝鮮政府が獲得しているのである。参照として、北朝鮮で1カ月当たり2ドルの給料は、非常に高所得層に属する。結局、韓国が北朝鮮に支給する労働者1カ月当たり73ドルの賃金の中で2ドルだけが労働者に帰属して、残りは全て北政権の体制維持費用として使われるわけである。結局、開城自由地帯は、むしろ北朝鮮の開放と改革を遅延させてきたのではないだろうか。 どうしてこのような事態が発生したのだろうか。第1に、以前の韓国政権は、対北朝鮮交流協力と薔薇色の南北共同繁栄だけを強調して、巨大な投資を敢行してきた。北朝鮮がこれに呼応して、改革・開放を本気で行ったのなら、開城工団には大企業、外国企業、革新産業が溢れ返っていただろう。しかし、北朝鮮は閉鎖主義共産独裁体制を捨てるどころ、むしろ韓国の資金で作った工団を、韓国の対北朝鮮政策を圧迫する人質にしようとしている。 第2に、韓国は資本主義国家と経済交流をする準備が全く整っていない国に投資してしまった。北朝鮮の体制では、本来、党が各経済主体間の紛争を調整するのであり、民法、商法、契約などは、大きな意味がない。今回、開城工団の一方的な契約無効宣言は、資本主義世界の取り引き慣行に無知、無謀な北朝鮮の姿を体現すると同時に、地球村に残っている北朝鮮の潜在的取り引き相手も、全て駆逐してまったはずである。北朝鮮は今後、資本主義世界の冷厳な経済的過程から学ばないと、中国やベトナムのような自力成長する国家を建設することは出来ない。全ての発展途上国は、生産過程や取り引き過程で騙され、不平等契約の費用を支払いながら、資本主義市場世界のゲーム法則を体得するのである。このような高価な学習過程を経ながら、国家と企業の適応力と経営能力は、少しずつ成長していくのである。過去10年間に渡って、韓国の親北朝鮮政権は政治的な「考慮」を前面に押し立てて、対北朝鮮取り引きの中で、自らが北朝鮮の「ゆすり」の対象になってきた。韓国はこのようにして北朝鮮の「我がまま」を受け入れながら、その「悪癖」を放置して置いたので、北朝鮮を孤立の道へと導いたのではないだろうか。従って、韓国は今回の開城工団事態の対策として、必ずしも北朝鮮式の方法が通じないということを証明しなければならない。北朝鮮の政治的脅迫から逸脱することができない対北朝鮮投資は、単なる政治的「わな」になるだけである。長期間に渡って韓国内の政治的スローガンだった「韓国と北朝鮮の同伴繁栄」も、純粋な経済交流関係を通じてのみ成し遂げることができるということを、知らなければならない。