旧(従来)司法試験チェイス
司法試験737
日々雑感89
ひとりごと11
生活点描2
随想5
全11件 (11件中 1-11件目)
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また変なタイトル。先ほどから、民訴の定義をチェックしながら基本書をパラパラめくっていた。勉強を始めた頃から疑問に思っていたことが頭の中に浮かんだ。 でも、私の考え方は、きっと浅学のせいによるものだと思うし、多分大きな誤謬を孕んでいる。したがって、真に受けないで下さい。 旧訴訟物理論における選択的併合説に対して、新訴訟物理論の重鎮である、三ヶ月 章教授がこう評した。「この立場は、旧訴訟物理論が日本でのみたどりついた最後の墓場である」と。彼の本の中での表現。なんとも、辛らつな表現。 三ヶ月先生は「紛争解決の一回性」というキーワードで新訴理論を推し進めた。 続く、新堂幸司先生は「手続き保障と自己責任(結果責任)」というキーワードで、判決の理由中の判断にも拘束力をみとめようと、争点効を精力的に肯定している。 しかし、新訴訟物理論によるならば、既判力によって遮断される範囲・失権効の範囲が広まりすぎるのではないか、との疑問がある。 この疑問が私の昔からの疑問なのです。 確かに、制度設営者(国)、当事者、の視点からの訴訟経済を考えてみると妥当な見解だとも思うが・・。 でも、やはりその失権の根拠とされる「自己責任」という言葉が気にかかる。この点、確かに民訴の講学上の概念と日常の用語例とは異なるのかもしれないが、誤解を恐れずに言うと、「自己責任」という言葉があまりにもキーワードとして軽々しく使われすぎだと思う。 現在の日本の状況を見ても、この言葉が軽々しく使われていると考えるのは私一人だけであろうか。 自己責任は終局的には利己主義につながると考える。おまえは○○したのだから責任がある。私は○○したのだからもう責任がない。 自己責任論は、思うに、自己のみならず他者をも尊重するというより高次の共生の社会に成熟して初めて妥当するのではないか。 現状のままの自己責任論では公平ではないイメージが付きまとう。強者(多数者)が弱者(少数者)を切り捨てる論理に繋がりかねない。 長々と書いてしまったが、私の言いたいことは、旧訴訟物理論も攻撃されるほどの問題はないのではないかという事である。 確かに、旧訴理論によると相手方当事者の応訴の煩が増加し、訴訟不経済の局面も出てくるとも思われるが。 実務では、旧訴理論が通説。おそらくこのまま続くだろう。 新訴理論の先生はこのことをどう説明するのか? 抽象的な議論ばかりでした。多分、間違えが多々あるでしょう。 これは私のひとりごとです。ご勘弁下さい。
2005.07.15
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先ほど、ある方のブログであるお店(食べ物屋さん)の紹介があり、そこは学生時代によく通ったお店でした。とても懐かしく思い、すぐさまコメントを付けてしまいました。そのあとも昔の思い出に浸りいろいろな記憶がよみがえりました。 そのあと、別のある方のブログを見たら、司法試験と自己犠牲についての書き込みにも目が留まり、学生時代から現在にいたるまでの自分の生き様についても思いをめぐらすはめになってしまいました。 同時に、古い映画なのですが学園祭でリバイバル上映された「ペーパーチェイス」・「青春の蹉跌」という映画のことも思い出してしまいました。 「ペーパーチェイス」→ハーバードロースクールの学生であるハート君? はある美しい女性(名前は忘れた。リンゼイワグナー が演じていたと思う)に恋をした。 しかし、彼女は指導教授の娘。そこで教授の歓心を 引こうと一生懸命勉強した。 そのあといろいろあって、映画の最後のシーンが 忘れられない。 定期試験の成績表が送られてきたが、ハート君は 彼女と海岸に行きその成績表で紙飛行機を作り 海に向かって飛ばした。 自分の努力の成果をしるしたものを事も無げに とばしてしまうとは、なんとも「粋」だった。 「青春の蹉跌」 →反逆児のカリスマ?萩原健一、桃井かおり主演。 暗い日本的映画。司法試験受験生の萩原が合格後 社長令嬢と婚約。彼が家庭教師をして深い関係 になってしまった教え子の桃井が邪魔になり とうとう殺害。合格も水の泡となる。 司法試験に失敗し郷里に妻子ともども帰るはめに なった受験生役の森本レオがいい味を出していた。 見終わると何とも暗い気持ちになるので お勧めではありません。だからこそ、その設定 を含めて記憶に残っているのでしょう。あー、随分書き込んでしまった。例の悪い癖。大展開。一時間程度で書こうと思っていたのに。ここまできたら最後まで書かないと。思い起こせば、私も受験生としては都落ち?断腸の思いで郷里に帰ってきた。勉強を続けるのには東京にとどまっている方がいいに決まっている、という思い込みが頭の中に刷り込まれており、最初は随分悲観したものだった。でも経済的にも、そのたの諸事情からも東京での生活は困難だと分かっていても。時を同じくして、失恋もしてしまった。その彼女にこう言われてしまった。「司法試験がダメになってしまったから私のところに来たのでしょ!」と。決してそのつもりではなかった。弱気になった私を見てそう感じるのも無理はないと思う。だから今となっては彼女を恨むこともない。いい思い出としょうとしている(本当のことを言うと今でもそれが出来なくてこまっているが・・・・)。そんな訳でしばらくの間は勉強には全く身が入らず状態。頭では、勉強しなければと思っていても、もう一人の自分が邪魔をする。本当に身も心も疲れ果ててしまっていたのだろう。いままでの人生のなかで最悪の事態だった。情けないことに。でも、そんな私を見るに見かねて救いの手を伸べてくれた人がいた。塾の教師の仕事(現在は家業の手伝い)を紹介してくれた人。純粋な子供達と接することで心の中が解凍しまた前向きの自分を取り戻すことができたのだ。人との出会いとは素晴らしいものだ。人生の財産だ。両親をはじめ兄弟、周りを取り巻いていつも応援し励ましてくれる人達に感謝しても感謝しすぎるということはない。「人生いたるところに青山(墓場)あり」。どこで勉強しても勉強することにはかわりはない。まして、今はインターネットの時代、予備校も通信で受講可能。ちょっと遠出をすれば講義も模試も利用できる。また二ヶ月前ほどからこのブログを始めたことも今のところ良かったと思っている。当初タイピングが遅くて(いまは少し上達)難儀。でも、コメントのやり取りをしている人たちは今のところ同じ受験生の方々がほとんどだけれども、皆さん本当に真面目に応答してくださるのには驚きです。ブログという匿名性のあるツールなのに。もっともそうだからこそ、ある意味では本音を語ることが出来ることもある。その意味では、周りに同じ受験生の知り合いがいないという地方受験生の悩みもブログ仲間で解消できている。しかもみな優秀な方ばかりで日々啓発されまくりなのがうれしいのです。私も負けずに勉強しなければ!と、反対動機の形成ばかりしています。今日の皆さんのブログをみて学生時代のことをビビットに思い出しました。ハーバードロースクールで勉強しているハート君に憧れて彼になりきって一生懸命勉強したり、青春の蹉跌を見て、映画なのに、あれは真の受験生の実相を表現していない、と疑問に思ったり。また明日から純粋な心を取り戻して勉強できそうです。確かに、受験勉強が長く続いてしまうと、どうしても犠牲になったり、してしまう事柄が増えていきますね。この点、各個人様々なので、なんともいえませんが・・。私事でも、日々の生活が勉強中心なってしまうので、日々の生活でも周りの人に迷惑ばかりかけています。マクロ的にも、人生を振り返ると、ある年齢にしておかなければならない事柄を放棄したり、失敗したり、なかなかに残念なことばかりです。スパーマンではないのでしたいこと全ては出来ませんでした。その結果をいま流行の自己責任という言葉で語りつくすつもりもありません。試験に合格しても、もう過去に戻れませので、犠牲は犠牲のまま自分の履歴に残ってしまうとも思います。やはり、過去の様々な自己決定の結果、現在の自分があるので、素直に受け入れるべきなのでしょうか?現在のところはまだよく分かりません。でも、これだけはいえると思います。前向きに生きることによって犠牲が犠牲でなくなると思いたいし、そう思わなければならないと思います。そうしないと犠牲が犠牲のまま終わってしまう。その犠牲の結果(おかげで)現在があると思いたいからです。独白もしてしまいましたが、たまにはこういうブログもいいでしょう。見返ししませんので、誤字・脱字はご勘弁!!
2005.06.27
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よっしゃーーーーーーーゃーーーーーーーーっ!!!!!!!。サッカー日本代表が北朝鮮に2-0で勝利。これで来年のドイツワールドカップ出場だ。感動をありがとう。よくやった。中田(英・hide)・中村は、累積警告で試合に出れなかったけれども、柳沢のボレーシュートは上手かった。田中(誠)パスカット・スルーパスは最高、それをオフサイドを回避して大黒よくきめた。でもでも、やはり裏方さんを含めた全員の力の勝利。ところで、ワールドカップは来年の6月9日から始まるらしい。試験日との兼ね合いで少し複雑。まあ、何とかしょう。サッカー観戦は唯一の娯楽だし、いつもエネルギーをもらっているのだから。今日はブログの巡回はしないでもう寝ます。サッカーファンの受験生も多いと思いますが、脇目も振らないで勉強された方々ご苦労さまでした。尊敬致します。また明日から頑張ります。(やはり他人の目を意識しているのかなー?)今夜は、ハッピー・ハッピー。これからぐっすり寝られそうです。
2005.06.08
「世の中、図々しい方が得をする」などと言われる。議論をしていても、(内容の信憑性・真実性はともかく)声の大きい者(迫力のある者)の方が優位性を保つ場合があることは確か。受験界でも、なかなか個性の強い者が多く、ゼミでの討論の場でこのことが妥当するケースが多々あった。(それ以来、受験生どうしのゼミは、回避していた)また、受験に際しては、あまり神経が細やか過ぎる者の欠点が指摘され、少し「図々しく」しくなったほうがよい、ともいわれる。しかし、そうだろうか?確かに、世間の通り相場はそうかも知れないが、人間には個性というものがある。いわゆる「強い者」が「弱い者」に常に優位するという構図は認められないことは、自明の理。やはり私は、相手の立場を慮りきめ細やかな人間関係を築ける人間になりたい。そう出来得るように努力したい。受験に際しての「図々しさ」は、ある意味で理解出来そうな気もするが、しかし、それは単なる「図々しさ」ではなく、日々の勉強を通じて獲得すべき揺るぎのない「自信」のことではないだろうか?将来、実務法曹になった場合、このことがさらに強く妥当すると思いたい。
2005.05.30
とりたてて書くこともなかったのですが、さきほどブログを巡回したら、ある方の書き込みが目に止まった。たいへん思い悩んでいる様子だつた。私も、かつて同じように悩み続けた経験もあり、とても気になった。その方に、軽々しく激励の言葉をかけるつもりはないが、はやく立ち直って欲しいとおもいます。自分自身で考え抜いて、そして納得して・・・。皆さん、皆一生懸命頑張っていますね。皆さん、皆全員で合格しましょう。土、日、は缶詰め状態で勉強しよう。今週の出来事で計画が遅れがちなので。
2005.05.27
今日から、ようやく平常の生活に戻った。1週間はあーっという間に過ぎ去る。まあ、とにかく頑張りましょう。と。いつも、頑張る、頑張ると言い過ぎでしょうか?でも、頑張るのです。何を?それは勉強です。「欲しがりません、勝つ(合格する)までは」ちょっと古いですね。ブログ書きも随分慣れてきた。でも、すこし時間がかかりすぎ。ついつい、大きなタイトルをあげて大展開してしまう。読み返すと、たいしたことのない内容ですが・・・。見るのは楽しいし、勉強になる。行動記録を詳細に書き込みしている方のブログには内容ともども圧倒される。私なら、書き込むだけで、一日が終わりそう。まあ、身の丈のブログでよしとしましょう。ブログをはじめてから確実に生活・勉強のリズムができているのだから。
2005.05.26
土曜、日曜は勉強のかきいれどきなので、予定をこなすために、結構、集中していた。が、カレンダーに書いてある詩が目に入った。相田みつを、の詩だ。「木の芽が のびるのは やわらかい から みつを」そこで、思った。予定をこなそうとするあまり、自己満足の、しかも、空回りの勉強をしていないか?をチェツクすることも必要だ、と。頭をいつも柔軟にしておくことは、「のびる」前提なのかも知れない。普遍性のある詩だ。
2005.05.15
あっ! またやってしまった!朝、車から降りるとき、ぎくー。腰です、腰痛の始まりです。ここ数ヶ月の運動不足と毎日の同じ姿勢の連続がたたったようだ。それにしても、あの210分間の異常な集中、すごいものだった。毎日、あの集中で勉強したら、どんなことになるだろうか?すぐに、合格しちゃうだろうか?エンストしまくりだろうか?やってみる価値はありそうだ。でも、少し不安がある。今日、会社法の基本書を読み始めたところ、そこには、練習用のマークシートを机の右において、鉛筆を握り締めた、自分がいた。なんということか?条件反射?パブロフの犬か?生活習慣病?腰に響いて、笑いたくとも、笑えない話でした。セルフコントロールのことを、すこし考えてみよう。
2005.05.10
きようの予定を終えて思うこと。それは、ただ、単純にこれだけ。合格したい。
2005.05.06
Where there is a will,there is a way.(意志or意思あるところに、道はある)確かに、その通り。好きな言葉。でも、よく考えると、単純だが奥の深い言葉。 思うことは、いつだって、誰だって出来る。しかし、色々な障害に直面したときの「Will」が大切だ、と思う。右にいったり、左にいったり、後ろを見たり、立ち止まったり、各駅停車の人生。でも、熱い「Will」は持ち続けよう。
2005.05.04
私は、この言葉がすきです。「未来からの現在」。自分の未来を所与のもとして、淡々と努力して生きる、ことだと解釈しています。あと7日で、未来の具体的ルートが顕在します。淡々と過ごします。
2005.04.30