追悼ミサ。
つい先ほど電話があった。勉強の休憩を兼ねて、少しブログを書きます。今度の日曜日に、今は亡きR神父の追悼ミサを執り行うのでカトリック教会に来て欲しい、との内容の電話だった。R神父のこと。手短に紹介すると。出会いは、私が高校生の頃。教会の付属の建ての物のなかに図書館があった。大学受験を控えていた私は友達に連れられてそこで勉強を始めることとなった。私は、カトリックの洗礼を受けておらず、したがって信者でもないので、初めは、随分気後れしたものだった。しかし、彼は暖かく迎え入れてくれた。彼は、アメリカ出身。神学校を卒業後、日本に布教活動のために渡って来た。日本の地方の地域社会の自主的活動をバックアップするために、いまから40年以上も前に大きなセンター(建物)を建てたのだ。カトリックという宗教色は一切なし。いろいろな文化教室、外国人による語学教室、子供達の学習教室等をひらいていた。後年、私は、そこで子供達に勉強を教えることとなる。R神父のことは、別の機会に詳しく書くことにするが、彼は、青春時代の私に大きな影響を与えてくれた人であり恩人なのである。彼のお陰で、英会話も随分上達したし、お酒、マージャン等も教えてくれた、型破りの神父だった。彼は、よく私に次のことを言ってくれた、「A君、信仰する宗教の違いがあってもよいし、無宗教であっても一向に構わない。皆で、愛を持って、一つのことを協力することが大切なのだ」と。彼とそのセンターに集った老若男女の人々とわたしは、まさに無償のボランティア活動をしていたのである。まさに、私の人格形成の一コマだった。あるとき、そのセンターの記念誌の編集に携わった。表紙をめくった最初のページの写真の2ショット。R神父と昨年亡くなったヨハネ・パウロ2世との2ショット。法王が来日したときに親交のある二人が笑顔で抱き合っている。この写真を見つけ出して記念誌に収めた。その神父は、数年前交通事故でこの世を去った。今は、京都の墓に眠っている。彼を再び偲んで、追悼ミサが教会で開かれる。いまだに信者ではないが、いろいろな方に会って旧交をあたためてこようと思う。いつしか、機会があれば、皆で協力して、R神父のことを一冊の本にしてみたいと思う。とにかく、偉大な方だった。