日大アメフト部 危険タックル問題について
日大アメフト部 危険タックル問題 連日報道が過熱している日大アメリカンフットボール部員による悪質な危険タックル問題。これはルールを逸脱した危険な行為によって対戦相手である関西学院大のクオーターバック(QB)を負傷させた問題が、指導者の対応の不誠実さに加え、記者会見を開いた日大広報部の不遜な態度によって社会的な問題となるまでに波紋を広げてしまった。加害者である二十歳の選手が単独で記者会見を開いたという事実にも驚かされたが、そこで語られた「監督やコーチの指示があった」という事実(であろうこと)を、大学サイドは学生である選手を守ろうともせず、指導者の指示と選手の受け取り方に乖離が起きていたことや、選手と指導者らの間でコミュニケーションが不足していたことが問題の本質としている。また、選手の記者会見の翌日、内田正人前監督と井上奨前コーチが記者会見を開き、「相手のクオーターバックを潰せ」という言葉の解釈をめぐって選手の主張に異を唱えている。もしも意図的な「潰せ」という指示でなかったとしたら、なぜ試合中、もしくは直後に選手と共に関西学院大サイドに謝罪を行わなかったのかという疑問が湧いてくるのでその理屈は通らない。その後のニュースによれば危険なタックル直後の内田前監督のコメントが録音されており、ルールを逸脱した危険な行為を容認するような発言をしている。それでも、「潰せ」という言葉は選手を発奮させるためだけに発したというのだろうか。いずれにせよこの内田前監督にはアメリカンフットボールにも対戦相手にも日大の部員にもリスペクトが感じられない。スポーツとは互いの尊重の上に成り立つものだ。支配者と被支配者という関係では本来スポーツなど成り立たない。ましてや教育機関における活動の中では到底容認できるものではない。スポーツである以上、勝利を目指すのは当然であり、勝敗があるからこそスポーツは魅力に満ちあふれ、活動過程において人間的な成長や社会性が育っていく。その人間的な成長のためには「なぜするのか」という追求が必要で、それは「人として、いかに生きるべきか」という自身への深い問い掛けに繋がり、そのためには「何を学ぶべきか」ということへ行き着くはずだ。それによって主体的に考え、主体的に行動するという姿勢が培われる。一朝一夕に答えがでるものではないが、その追求こそが人格を高めると思われる。スポーツとは本来、全人格的な人間力を高めるためのものだ。指導者のエゴによる目先の勝利よって若い選手を潰してはならない。今回の問題はスポーツが抱える様々な問題を表面化させた。もちろん、すべての競技やチームに当てはまるなどとは考えていないが、多かれ少なかれ上意下達の構図の中でスポーツが行われているとみてよいだろう。しかし、そこに愛はあるか、リスペクトはあるか、ということが大切なのだ。この問題が起こってから、スポーツマンシップやフェアプレーという言葉をよく聞くようになった。あくまでも私見で、という前提で以下まとめてみた。 <スポーツマンシップとは>ルールを守り、審判や対戦相手、チームメイトやスタッフに対するリスペクトは言うまでもなく、競技に関連する全てのものに感謝の念を持つことだと考えられる。これなくして、良き仲間として良きライバルとして互いに高め合う関係など構築できるはずがない。 <フェアプレーの精神とは>ルールを守ることはもちろん、ルールに書かれていない心のありかたや行動を指す言葉だと考えられる。競技外にあっては人として、競技内にあってはプレーヤーとして、いかに礼儀正しく謙虚であるか、寛容であるか、真摯であるか、高潔であるかなど、精神的な成熟度を伴う行動だろう。武道では品格という言葉で語られている。その上で、主体的に物事を考え、主体的に行動し、競技中は全力を出し切る。もちろん「言うは易く行うは難し」で、一朝一夕に身に付くものではない。長い時を重ね競技力と共に修練しなければならない心のあり方だ。このフェアプレーの精神は直接勝利に関わるものではない。しかし、人格を高め、品格を備えることは、人としての美しさにも繋がり、生き方の追求と言えるものだ。これは選手として肉体が衰え、競技引退後もなお、生あるかぎり磨き続けられるものだ。 *****スポーツとは勝利にのみ価値があるわけではない。勝てなかったからといって、選手やスタッフの努力がゼロになるわけではない。努力には必ず成長が伴うからだ。また勝敗が人間の存在価値を決めるものでもない。競い合い、互いに成長し磨き合う仲間や好敵手と共に、人生や社会を豊かにしていくのがスポーツ本来の意義だろう。それには勝敗だけにとらわれない価値観を我々一人ひとりが持たなければならない。今回の日本大学アメリカンフットボール部員による危険タックル問題をきっかけに、本来スポーツが持っている意義や価値を改めて考える機会になることを願ってやまない。 大元よしき