なんとなくね
玄関に桜のジェルジェムを貼ってみた。なんとなくなんだけど、私の中の桜のイメージは「上に向かって舞う」なんだよなーー。 最初に桜を意識したのは、京都の三条から五条までの京阪電車(確か)。ここは鴨川ぞいの桜の堤になっていて、その桜のトンネルの中を京阪電車が通っていく。四条通りを橋を渡る前に立ち止まってみると、後ろの東山の新緑のくせにちょっと凄みのある緑に(禍々しい色なんだよね、あそこ)うす桃色のラインが横に貫いていて、えも言われぬ美しさだった。京阪電車の地下鉄化にともない、この桜のトンネルもなくなってしまったが… 次が、名古屋の小学校。当時で創立130年を越えていて、南側に正門があり、東に体育館と新校舎、西と北側に一棟づつ木造の校舎があり、そのまわりをぐるりと桜が取り囲んでいた。西校舎は痛みがひどかったので、2階は使っていなかったが(1階は2年生が使用。あるとき、廊下を走っていて、床が抜けた…それぐらい古くて危険)北校舎は戦後の建物だったので、2階から見ると桜が目の前。空に向かって一斉に飛んでいく光景が、これまた見事だった。もっとも、この学校の場合、下を見ると毛虫だらけでまともに歩けないってのもあったんだけど(^^;) 実は今、桜は苦手だったりする。一つは、桜を愛でようと思っても、よっぱらいが多い(`´メ)もっと粋に風流に飲まんかい!と思ってしまう。 もっと大きい理由は、10年前、まだ安定期に入らず不安な時期に桜をみて、唐突に「来年の桜、見られるのかな」と思ってしまったこと。結果的に翌年もその翌年も、今に至るまで桜を見ているけれど、母はあの年の桜が最後だった。「華(桜)の下に春死なん」なんてできたらいいね、と言っていた母と私。そんなうまいことあるわけねーやとも言っていたけれど… よく死を例えるのに星が流れたとか、鳥が飛ぶと表現することがあるけれど、私の中では確実に、「空に向かって舞う桜」だ。 苦手だけどね、桜は好き。だけど見るなら一人で黙ってみたいね。大事な人を想いながら、静かに飲みたいよ。