またかよ!!!
尼崎の事故のニュースから喧嘩になった。それは事故で亡くなった方の家へJR西日本の人が弔問へ行った映像であった。もし私がその立場であったら、私はなじる気にはなれない、と言ったら、それが人間として信じられない行為だと言うのだ。今回はだんなの言うことも分かるのだが、でも、でも、でも、事故死であれ病死であれ、どんなに怨んでも、どんなに泣いても、どんなに相手をなじっても、愛しい人は帰ってきてくれないのだ。相手がどれだけ謝っても、どれだけ今後の安全を保障してくれても、帰ってきてはくれない。顔も見たくないし、もちろん保証金なんていらない。人はお金とはひきかえにできない。 もし、大量殺人をすれば愛しい人が帰ってくると言うのなら、いくらでも手を血に染めよう。気が済むまで殴れば帰ってくると言うのなら、何時間でも、いや、何日でも殴り続けよう。でも、それはありえない。 愛しい人がいなくなった哀しさは、絶対に埋められない。何年経ってもどれだけ時間がたっても。時が解決してくれる?うそだね、そんなの。時は流れるだけでなにもしてくれない。流されている間に、忘れたような気になるだけだ。 父は祖母と折り合いがわるかった。祖母は面と向って父をなじる人だった。でも、父が亡くなった時、祖母の落胆は尋常ではなかった。あの小さな小さな背中を見た時、たとえ1秒でもいいから、母より長く生きようと思った。事故にあっても、母が息絶えたのを確認するまでは、どんなことがあっても生きていようと思った。だから母が亡くなった時、とってもとっても安心したのだ。ああ、これでいつでも死ねると。快感と呼んでいいほどの開放感。そこから現実に引き戻したのはお嬢の泣き声だった。母となった私は、お嬢が自立できない間は死ねない。お嬢に私の味わった喪失感と脱力感を味あわせる訳にはいかない。哀しさとむなしさを抱えて生きて行く長い長い時間。こんなものをお嬢に味あわせてどうする。 誕生日から父の命日までと、クリスマスから母の命日まで。この期間の私は私であって私ではない。目の前の現実を眺めているようで、頭では全く別の光景が見えている。それは父が無菌室に入ったあの日であり、寮へもどる私に見せた最後の笑顔であり、母と過ごした最後のクリスマスであり、痛みで眠れない母を案じつつも初めての育児にどぎまぎしていたあの日であり、頭の中で再生されるそれを私に止めることはできない。事故の犠牲者のお葬式の報道など、自分の親の葬儀に見えてしょうがないのだ。ちらつくのは棺で眠る父と母の顔。そんなものが頭の中によぎっているのに、もし事故でだんなやお嬢が死んだら、事故を起こした会社の幹部をなじらない私は、血も通っていない冷たい奴と言われねばならないのか? あなたは私の何を見ているのだ? 知り合う前につきあっていた人がいたことがそんなに憎いのなら、なぜ私と結婚したのだ? 知り合った時、父は既に亡き人で、まだまだ父を失った打撃から私は立ち直っていなかった。 身内の介護をしたこともなく、親も揃い、まだ親が死ぬと言う実感のわからない人に、想像だけでなじられたくないよ。