遺品整理はちょっとやそっとじゃ終わらない⁈亡夫の浮気を再確認
夫が亡くなって3年になろうとしている。亡夫の部屋の襖を開ける度に何度となく出る溜息が8畳の汚部屋に残された遺品の臭いに吞み込まれる。当初、何処から手を付けていいか分からないくらいだった。「足の踏み場もない」ってこんな部屋の事を言うのだろう。亡くなって1年程で「私が片づけなきゃダメだ」と思って始めた。息子達は、嫌っている父親の遺品なんて見るのも嫌だろう。私だって離婚を決めていた夫の遺品なんて触りたくもない。できることなら部屋ごと丸めて焼却炉に叩き込んでしまいたいくらいだ。だからって全てを業者に頼むのも憚られるものが多々ある。業者には最後の最後にお願いすることにして、これも日々のパートの仕事だと思ってやればいい。亡夫には遺族年金てカタチで支払って貰えるんだから。そう思ってやるしかない。・・・そう決めた (イメージ)「男ヤモメにウジがわく」なんて言われるけど、ココまで掃除も片付けもしないでよくいられたものだ。天井と漆喰の壁には、タバコのヤニ色に染まった蜘蛛の巣と埃がおどろおどろしげに垂れ下がりお化け屋敷の方がまだ白っぽいだけマシな気がする。片付け初日は、暑さを気にしないで済む秋~冬場にした。(エアコン無いし、窓は開かない、屋根から来る熱気が半端ない真夏は無理)マスク必須、頭にほっかむり、オーバーオールに長靴薄手の軍手の上に使い捨てのゴム手袋装着。頭部に纏わりつきそうな蜘蛛の巣埃をホウキでからめ取ってから、先ずは足場をつくろうと畳の上にあるものを左に右に避けて自分の居場所をつくる。脱ぎ散らかした服、シミだらけの布団、汚れたペットボトル、ニオイの残る焼酎の紙パック、使ったままの食器類、プラゴミ、紙ごみ、あれやこれや。それらの下敷きになった小銭、電池、使い捨てライター、etc、etc・・・この上なく厄介な分別作業だ。畳の上にあるものだけで大仕事なのに、亡夫が部屋の壁を囲うように組んだスチールラックには段ボール箱や衣装ケース、工具入れに趣味の道具や材料が整理もされずに滅茶苦茶に入っていたりする。益々厄介なのは亡夫の両親が経営していた頃から継続された機具やらファイルされた紙のカタマリが横積み、縦積みと山積みでそれらは殆ど動かされることもなかった様で、埃でコーティングされているし、押し入れには、汚布団、汚洋服、段ボール製パンドラの箱もあった・・・はず長年夜勤労働者をやっていると夜中の仕事が平然と行える。草木も眠る丑三つ時から朝方まで、まとめては捨ての繰り返し100m程上り坂の先にあるゴミ捨て場への往復ふくれた45ℓのゴミ袋がいったい何袋置かれたか・・・毎回、申し訳ないとは思いつつ我が家が出したゴミだけで田舎の広い集積場の半分以上が占拠される。 (イメージ)気分屋の私はやる時はやるが、やらない時はやらない。早く終わらせたいのは山々なれど、持ち家である為、片づけるのには期限が無いのが良い・・・のか悪いのか?仕方ないのだ、週5日のパート仕事をしつつ合間の休日を利用してだから。手の病がいくつもあって、思秋期過ぎた女が独り、結局やるのは私だけだし、と、自分に言い訳する。この日、夫の趣味だったものを片付けることにした。壁際に沿って、多趣味だった夫が作った棚には20代の頃から溜めこんだのであろうラジコンの類、撮影道具とその作品群、憚られるVHS・写真・DVD・本類が大量に載っている。まったくよくもまぁ、こんなに作ったり、撮ったり、集めたりしたものを恥ずかしげもなく残して逝けたものだ。あの世に手が届くなら、首根っこ掴んで引きずり降ろして「自分のことは自分でやれ!!」と、𠮟りつけてやりたい気分。ゴミ袋に詰め込みながら何度溜息ついたか分からない。で、見覚えのある左右に3桁のダイヤル鍵付きの営業トランクに手を伸ばす。片方は開いていたが、もう片方はロックされていた。(イメージ)何が入っているんだろう・・・?埃だらけで白くなった皮のブランドもんのトランクに未練もなくロック部分にマイナスドライバーを差し込んで破壊した。出てきたのは封筒に入った十数通の手紙と上半身裸体の女性の写真が数十枚。手紙は1990年頃から5年程続いていた。「愛してる」って言葉が連なる熱烈なラブレターと毎年贈られたクリスマスカードどれにも最後に明記されてる浮気相手の名前・・・昔の演歌歌手みたいな。全く・・・いくら好きな男からの要求だからって自分の裸の写真を撮らせるなんて私には信じられない。芸能人なら週刊誌ネタ、妻帯者なら慰謝料請求、男が独身なら脅迫とかされたりするの分かって撮らせるかなヤレヤレ・・・それに、別に驚くものでもない。初めて見るものでもないから・・・一度、浮気真っ最中の時期だったのだろう、夫の車のトランクを開けて探し物をする機会があってその時見つけたのがリゾートホテルの領収書と女性もののネックレス写真も手紙もあった。結婚前からの私からの約束ごとだった。「浮気をするなら私に分からない様にやって」けれど、思えば無理な話なのだ。昔から夫の母親公認のだらしない男で、身の回りの整理整頓は本当にできない奴だった。いくら人の感情や恋愛ごとに鈍感な私でも、こんなあからさまに証拠品を見せられたら、怒り心頭に発するしかない。それでもこの時期、離婚まで行けなかった理由がある。小学校に上がる直前の長男と次男の子育て、痴ほう症の進行真っただ中の舅の介護と、家庭内も手のかかる事で手一杯なのに会社経営はほぼ姑に任せっぱなし私は嫁いできた時から気の利かない不出来な嫁で姑との諍いは年中だった。当時の姑の権力は会社でも家庭でも誰遮ることはできず、私なんて太刀打ちどころか一方的にコテンパンにされてるだけ。一方、自分の世界に夢中の夫はダイエットに始めたエアロビクスの延長でインストラクターの資格まで取ってそこで浮気相手を見つけたのだろう。(姑はなんのかんの注意はするが夫は強硬)当時の私は、夫の事よりも姑との確執で自己嫌悪に陥り離婚を決断して結婚後3度目の実家帰りを断行夫が迎えに来たが帰らなかった。離婚を止める為の最終手段として姑の口から夫の出生の秘密が明らかになった事で私は離婚を断念しなければならなくなった。以来、夫婦としては名ばかりの関係が続くことになる。 ● ● ● ● ● ● ● ●「愛する愛は無くて『馴れ合い(愛)、慣れ合い(愛)』見せかけで一緒にいるだけの夫婦です」と、他人には冗談まがいに言ってはいたけど夫婦なんて所詮他人同士なんだからお互い思いやることも薄れてきたら一緒にいる必要ないじゃない。子供の将来だってろくに考えてもやれない、家族を養うだけの力量もない。夫である意味、父親である意味、家族でいる意味そんなこと考えなくてもずっと一緒にいれるのが家族なのに。長男が冗談まじりに言う・・・(私が夫と結婚したことは)長男「マイナスジャンボ宝くじ前後賞合わせて10億円に当たった様なものだから、 俺達連れてさっさと実家に帰ってくれた方が良かったんだよ」私 「前後賞のあなた達がついてなければ離婚したかもね~」私の人生、後悔する事なら山の様にある。それでもなんとか今生きていられる事に喜びがあり、後悔したことを思い出してみることが楽しみのひとつでもある。「幸せにしてあげられなくてごめんね」なんて・・・最期のつもりで夫が言ったのなら大きなお世話だ。「幸せにして」なんて言葉でお願いしたつもりはない。結婚当初「幸せにしたい」そう思ったのならそれだけで十分な言葉だ。・・・そんなこと考えながら汚部屋片づけは続くのだ