何ができるか
環境がこうだったら、これができるのに、と思うことは多いだろう。そして、恵まれているように見える人がうらやましくなったりする。しかし、それではいつまでたっても、人生は好転しない。宝くじにもめったに当たらないが、単に待っていてよくなることは、宝くじに当たるよりも確率が低いだろう。そして、棚から牡丹餅は、必ず反作用がくる。その成功を受け止められるだけの器が、自分にできていないからだ。一時期の花として咲いても、一瞬の夢となるだろう。たとえ、どのような環境に置かれても、そこで何ができるかを考える。そして、なせることを一歩ずつやっていく。できない理由は、探せばいくらでも見出すことはできるだろう。しかし、できない理由をいくら理路整然と説明しても前には進まない。不可能にも見えるところで、考えに考え抜いて前進していく。そういう人にはやがて協力者も出てきて、道が大きくなっていく。結果だけを見た人からは、その人は恵まれた人にみえるのだが、何もせず乗り切ったのではなく、数々現われた困難を見事乗り切った人であると言えるだろう。どの人にも、その人にふさわしいチャンスはあるが、それに気がつくかどうかということなのだろう。恵まれない、と嘆く暇があったら、今自分に何ができるかを問うてみよう。