天気予報論争
天気予報がはずれたとき、「もう~!晴れって言ったやん!」などと文句を言うのは私だけ? 昨日、夫と長~い長~~~い話になりました。 「文句言うなら自分で天気図みれば?」 「低気圧なら天気が悪い、高気圧ならお天気、等圧線の間隔が狭かったら風が強い、それくらいしか私は知りません」 「天気予報見てるのに?」 「見てたらわかるんか?」 「あんなもんは経験値や。何回か聞いてたら同じ事言うてるんやから、このパターンはこう、ってわかるんちゃうん?」 「そんなもんわかるまでに時間かかってしゃあないわ。気象予報士さんは私よりずっとずっと天気の知識があって、その知識を以て天気予報してるんやから、それ聞いた方が早いやろ」 「でもはずれたら文句言うてるやろ?じゃあなんで天気予報見てるん?」 「は?天気が気になるから」 「当たると思って見てるん?」 「私よりは当たるんとちゃう?」 「絶対当たると思ってんの?」 「ううん。」 「当たらへんと思って見てるの?」 「当たったらいいなと思って見てます」 「ああ、希望ね。」 「そうですよ。」 「当たったらいいな~と思って見てるけど、当たるとは思ってないんや。」 「うん」 「はずれるかもしれへんと思ってるんや」 「そう」 「はずれるかもしれへんのに見てるんや。何で?」 「私よりは当たると思うから」 「何で私より当たると思うの?」 「気象予報士さんは天気の専門家やから」 「天気の専門家の言うことは正しいの?」 「正しい?違うなあ。私よりは予報の精度が高い、っていうこと」 「ふーん。」 「明日の天気はどうかな、知りたいな、と思うけど,私は天気に詳しくない。で、テレビで天気予報というものをしている、それは気象予報士という天気の知識がある人がやってる、ほんならその人の言う事をきいてみようかと思う」 「その人の言う事は正しいの?」 「正しい、っていう言い方は違う。私は、天気予報が絶対当たるとは思ってない。はずれる事もある、と思いながら聞いてます。」 「はずれたら文句言ってんのは、当たるという前提で聞いてるからじゃないの?はずれると思ってきいてんの?」 「当たったらいいなと思って聞いてるの。天気予報で晴れって言ったら、晴れるんやろな~と思って洗濯とか段取りするの。それがはずれたら、ガックリして『もう』って言ってしまうの!」 「ああ、ガックリしてるのか。そうかそうか。わかった。了解」 かいつまんで書くとこんな感じ。これだけ話さないと、わからないのか。天気予報に限らず、予想と実際が違って、実際の方が悪い結果なら、ガックリして、あ~とかもう~とか言ってしまう事にこれだけの説明を要するのか。 しかも、気象予報士さんが言ってるから、という私に、「う~のと同じやな。『だって本に載ってたもん』って、自分で考えんと言ってるのと一緒や」と言う。自分で考えてもわからんかったら、外からの情報に頼るのはおかしいですか?明日の天気を知りたいのに、今天気図の読み方を勉強しても、間に合うとは思えないけど。