迷惑と危害の境界線
「まずは生きること。人に危害を加えなければ、自由に生きていいんだよ」とある人が言った。 心がしんどい人へのメッセージかもしれない。 だけど、たぶん、しんどい人は、自分の存在自体を周囲への危害だと感じている。 「多少の迷惑はかけてもいいよ」と声をかけてみたところで、迷惑じゃなくて危害だと思ってる。自分自身が、誰かの何気ない言動に敏感に反応してしんどくなってしまうし、しんどい人を見ると自分もしんどくなるから、しんどい自分と関わる人もしんどくさせてしまうに違いない、申し訳ないと思うのかな。 世の中、繊細な人もいれば図太い人もいるけれど、自分と違う感じ方をする人がいるという事を理解はできても共感するのは難しい。 どこまでが迷惑?どこからが危害?線の引き方が人によって違うから、かける側はビクビクしてしまう。 誰にも嫌な思いをさせずに生きていくなんて無理。生きるということイコール迷惑をかける事と開き直ってしまえば楽なんだけど、それができないと延々悩むよねえ。 「迷惑」って言葉がよくないか。何かもっといい言い方はない? (メールフォームを作ってみました。お問い合わせはこちらから)