太古の集合無意識へ(眠りをめぐって)
―――さて、祝祭男さん、こんにちは。祝祭男】 あなたもこんにちは。―――今日はあてもないお喋りをしたい気分です。九歳の頃の女の子の自分に戻ったみたいに、どうでもいいことに夢中になりたい気分なんです。ちょうど雨の日のバス停でクルクル回る赤い雨傘を眺めていたときの、あの、どこか退屈なんだけれど、物憂げな安堵感に満ちていた時間をもう一度また、感じたい。そんな気分です。祝祭男】 それは、難しい注文ですね。私にはよくわからないな(笑)―――疲れてるのかも知れない。これから八週間くらい眠り続けたいです(笑)祝祭男】 ははは。そう、疲れている、ってことで思い出すんですけれども、昔友人と雑貨屋を巡り歩いていたときに、ふと細長い小物入れみたいな箱が目に留まったんです。深い碧色をした箱でした。それで何気なく手にとって、蓋を開けた瞬間に、何というか、もう言葉では言いようのないくらいジーンと染み渡ってくる深い安堵感を覚えたんですね。それでもうびっくりしちゃって、ああっ、これは何だ?って感じで溜息を漏らしていると、傍で友人が『あなたは相当疲れてるんだね』なんていうようなことを言う。―――それはあれですかね、その中に入って眠りたい、っていうような衝動ですかね。祝祭男】 ええ、そんなことなんだろうと思いますよね。実際その箱は、棺桶を連想させましたよ私には。いわゆる胎内回帰の欲求みたいなものなのかも知れませんよね。押入の中で眠るのが心地良いとかね。ベッドの中で渦巻き状の貝みたいに丸くなって眠るとかね、一口に胎内回帰といってもそれがどういうことなのか私は知りませんけれど、いまだにそういうことはあるんでしょうかね。一言で済ませちゃってもつまらんぜ、って思いますけども。―――うーむ、どうでしょうね。よくまあ色々とウンザリしている人は、深い深い海の底で、貝みたいになってじっと眠っていたい、ってなことを言いますけどね。祝祭男】 でも、そんなのちょっとぞっとしないですよね。海の底なんて陽も差さないし、真っ暗だし、へんな生き物が一杯で、気持ち悪いぜって思いますけどね。まあ、もちろん比喩で言うんですけども。―――でも、小さい箱、身の丈くらいの箱に収まって眠るのもいい感じだな祝祭男】 でも眠る、ってことに関して言えば、こんなに無防備なことはないですよね。深い眠りや、もの凄い込み入った夢を見る眠りっていうのは、夜から朝に掛けて、本当に深い断層みたいなものがあると思うんですよ。今日の朝はちゃんと昨日から繋がっている朝なのかな?って思うくらいのね。で、それくらい切断されちゃってる時間なら、それこそ記憶にないまま夜の街を歩いていても不思議じゃないし、何か眠っているうちに重大な事件に関与してても不思議じゃないぞっていうか、そういう隙間は確実にある。もちろんそういう無防備さは一面ではある種の快感なんですけども、逆にそれをどんどん安全で、私的なものにしていきたい、という欲求もある。たとえばどこかの寂れた美術館の、誰もその前に立ち止まらないような冴えない風景画が自分の部屋の扉になっていて、そこを入ると長い長い階段があって、継ぎ接ぎだらけの梯子に繋がっていて、さらにそこからくねくねとした回廊をあるいて、扉を幾つもあけて、エレベーターで水平移動したり垂直移動したりを繰り返して、ちょっとした運河みたいな場所を小舟で渡って、向こう岸にある小さな湖の真ん中にある小屋の更に地下に降りた小部屋までたどり着いてから眠る、っていうんだったら、すごくプライヴェートな感じがするし、何か太古の集合無意識と繋がっているような安堵がありますよね(笑)―――ははは。なるほどね。なんか、深い深い眠りを楽しみたくなってきました。すごい私的なやつをね。やっぱり疲れてるのかな。じゃあまあ今日はこのへんで。それではまた!