愛しい子供たち
我が子がどうのこうのと言うのではなくて。どの家庭にあっても 親の自分たちの子供に対する愛情は強い と感じさせられる。住んでいるここで見る光景は、 小学生くらいの御両親なら、もう何でも与えて与えて、子供たちは何不自由ない生活を送っている家庭ばかり。ほんと、大事に育てられているのねー と感じさせられる。通っている教区の教会で、昨日主日のミサに出て。ミサが終わってすぐ、モニカさんが言った。そこの御夫婦、息子さんを亡くしたよ。 昨日。...えっ...。何歳?58だった。 二人の娘の方も、癌を患っていてね。御夫婦は 他の教区の男性(小梅の元クラスメートのおじいちゃま)と話している最中で、 話しながら二人の顔は泣き崩れていった。息子さんの年が58なら、 お二人は80を優に超えている。 教会を後にする御夫妻の、奥さんの背中に手を伸ばしてそっと触れ、I'm so, so sorry... と言うのが精一杯だった。 私は泣いていたし、 奥さんにも 深い悲しみの共有が伝わった様子だった。 そんな風にいたわり合うことで お二人に 慰めを得てほしかった。勿論 私の心に その悲しみは刻み付けられて、亡くなられた息子さんのためにも、そして残された御両親のためにも祈っている今。教区の皆さんというのは -平均年齢70以上と思われるが- 人生をもう噛み締めて、噛み締めて、痛みの中で生きてきた人ばかりで、What can you do? と言うのか、 いつもその口癖は なぜか私の頭にはすぐBeh, che puo' fare? ( = どうしようもないのよ、何もできないのよ)と直接的にイタリア語訳されてしまうのだけど、それを またミリーさんが口にした。ミリーさんも83才で、 つい最近 ダウン症の末息子君(42才)をケアセンターに託したばかりだ。離れたくない、42年ずっと一緒にいたのに。 でも私は年で、もうみてあげられない。以後、ずっと寂しそうだ。 ミサに毎週、いつも親子一緒に来ていたのに、今は一人で来るしかない。いくつになっても、親は子供を愛している。その愛情の深さが伝わってきて、 涙が出てくる。それで、コラっ! と毎日小梅と伊織を叱りながらも、(← 甘やかしたくない)本当に愛しているんだよ、どうか私たち親よりも ずっと長生きして、良く生きてねと心から願い、祈っている日々。