アイヌと琉球は縄文型 日本人の遺伝系統、ゲノム解析で裏付け
おはようございます。ツイてる抗加齢(アンチエイジング)実践家・染谷光亨です。毎日毎日、多くのステキなことがあり、感謝しています。今回のニュースは以下の説を裏付けるもので、いずれ古代史が大きく変わるかも知れません。世界に誇る縄文文化注目される説として大変勉強になり、この説を支持します。************** ここから転載 **************縄文時代というと、なにやら、髭(ひげ)もじゃらで髪(かみ)はボサボサ、鹿の毛皮をかぶった原始人の姿などを想像してしまいますが、どうやらこれは大嘘。こうした考え方は、「文明文化は支那から朝鮮半島を経由して日本に渡ってきた」のだから、「日本文明は大化の改新(645年)以降に始まった」のであり、「それ以前には日本には文明はなかった」・・・すなわり支那が親、朝鮮が兄、日本はおとんぼ、という歴史認識から生まれた、いわば政治的な創作。縄文期の日本は、人が戦いや争いをすることなく、男女がともに働き、ともに暮らした戦いのない、平和な時代で、そういう時代が二万年近く続いた。弥生時代にはいると、服装も土器もシンプルなものになり、刀などの武器や鎧を着た武者の人形なども出土している。日本人のルーツは、北方型蒙古系民族に属するもので、シベリア・バイカル湖畔あたりにいた人たちが、地球気温の寒冷化によって南下をはじめ、樺太から北海道を経て、日本の本州に棲みついたというのが真相のようで、同時にこの時期、一部の人たちはベーリング海峡を越えて、北米大陸に移住したアメリカインデアンの先祖です。日本の縄文文化は支那から朝鮮半島を経由して入ってきたものではなく、バイカル湖から樺太~北海道~本州へと南下するなかで、日本の風土に合わせて育まれた文化である、と確定してよさそうです。まとめ日本の縄文時代というは、欧州や支那における旧石器時代後期から新石器時代にかけて栄えた、まったく日本独自の文化。すくなくとも遺跡を見る限り、支那よりも日本の文明開化の方がはるかに古い。古来、支那からはいってくる文化には、ロクなものがなかった。支那や朝鮮から伝播したのは、人殺しのための武器と、争いごと、盗っ人など、これまた、いまも昔もなんら変わらない。文明東進説(支那に起こった文明が半島を経由して日本にもたらされたとする説)を、いったん白紙にしてみると、むしろ文明西進説(日本に起こった文明が、半島や支那に伝播して古代文明が花開いた)で説明した方が、はるかに合理的な説明がつく。古代も、中世も、昔も、現在も、日本は平和で高い文化意識を持った民。そんな日本を、私たちの世代で壊してしまうということだけは、絶対にしてはならないことだ。************** 転載ここまで **************私のライフワーク:質の高い健康とより幸福・豊かな人生を実現するお手伝い。私が発明しているのは、「人類を救う宇宙人」であるという可能性です。****************************【以下転載】****************************日本人の遺伝的な系統はアイヌ(北海道)と琉球(沖縄県)が縄文人タイプで、本州・四国・九州は縄文人と弥生系渡来人との混血とみられることが、東京大などのゲノム(全遺伝情報)解析で分かった。約100年前に提唱された「アイヌ沖縄同系説」を裏付ける成果で、1日付の日本人類遺伝学会誌電子版に論文が掲載された。日本人の成り立ちについてドイツ人医師のベルツは明治44年、身体的特徴の共通性からアイヌと琉球は同系統と指摘。人類学者の埴原(はにはら)氏は平成3年に「二重構造説」を提唱し、本州などでは弥生時代以降に中国や朝鮮半島からの渡来人と先住民の縄文人が混血したが、アイヌや琉球は遠いため混血が少なく、縄文型の系統が残ったとした。今回の結果はこれらの仮説を高い精度で裏付けるもので、日本人の起源を探る上で貴重な成果という。仮説はこれまでもミトコンドリアDNAの分析結果などで支持されてきたが、はっきりしていなかった。研究チームはアイヌ系36人、琉球系35人のゲノムを解析し、DNAの個人差を示す60万個の一塩基多型(SNP)を調べ、本州・四国・九州の計243人や韓国人などと比較した。その結果、アイヌと琉球が遺伝的に最も近縁で、本州などは韓国と琉球の中間と判明。アイヌは個人差が大きく、北海道以北の別の民族との混血が起きたとみられることも分かった。研究チームの斎藤成也総合研究大学院大教授(遺伝学)らは縄文人の骨からDNAを採取して解析中で、斎藤教授は「分岐や混血の年代を推定して日本人の変遷を明らかにしたい」と話している。(出典:産経新聞)