『白狐魔記・天草の霧』 斉藤洋 著 感想
斉藤洋の『白狐魔記』シリーズの五冊目『天草の霧』を読みましたので、その感想です。児童書ですが、大人が読んでも面白いファンタジーです。あらすじはamazonからのコピペ。九州島原でキリシタンが蜂起した。江戸幕府から鎮定の命を受けた諸藩の軍が結集する中、白狐魔丸も一人の忍びの行方を追って島原へと赴く。そこでは圧政に苦しむ百姓たちが救世主を求め、一人の若い男を熱狂的に崇めていた。その男の名は天草四郎。なんと白狐魔丸も知らない技を操る、術の使い手だった…。狐の目を通して人間の歴史の不条理を見据えようとする意欲作。作者のライフワークともいえる骨太の大河ファンタジー。前作は織田信長の時代でしたが、今作は天草四郎です。白狐魔丸の住む山に、南蛮堂煙之助と言う男が、能力の修行にやってくる。白狐魔丸は“白狐大仙”と呼ばれ、修行を見てやることになる。九州島原で起こったキリシタンたちによる反乱。煙之助を追っていった白狐魔丸は、天草四郎と出会う。今回は仙人が帰ってくるし、雅姫が活躍で、シリーズファンとしては嬉しい。でも個人的には今一でした。先ず第一に、人間側に能力者を出してきたこと。個人的な好みですが、人間は“普通”の人であって欲しかったんですよね。特別な能力を持った存在ではなく、普通の人間が歴史の中で翻弄されていく描写が良いと思っていたので。第二に、今まで白狐魔丸は人間に寄り添って、物語を紡いでいったのですが、今回は雅姫の話になってしまった感がある。天草四郎がかなりの能力を持つ人間と言う設定なんですが、キリスト教の狂信者であり、自らを神であるかのように思い込んでいる驕った人物としているんですね。なので最後の最後まで、白狐魔丸は四郎を理解できないし、心を寄り添わすことが出来ない。そう言う意味では、シリーズの今までの作とはちょっと趣がことなります。理解できない人間が登場すること自体は良いんですけど・・・、何だか人の物語ではなくなってしまってて、それが寂しい。キリシタン達が反乱を起こしたのには、相応の理由があったわけです。にも係わらず、願いは叶わず弾圧されてしまう。この辺りの哀しさを描くのがシリーズの良さだったと思うのですが、天草四郎の性格を上記にしてしまった為に、今一それがクローズアップされない。もう1つ、天草のキリシタンたちの宗教観については、遠藤周作の『沈黙』が素晴らしいと思うんですけど、やはりあの長さ、そして深さが必要だと思うんですよね。ところが天草四郎の性格設定によって、軽いものになってしまった。宗教を児童書で扱う上で、それはどうだろう?と言う思いがあります。これがライノベなら、「面白かった!!」で済むんですけど、このシリーズに期待してるのは別の面白さなので、残念ながら、私としては『天草の霧』は今一でした。次作も出版予定だそうなので、期待してます。源平の風価格:1,365円(税込、送料別)タイトル通り源平の時代です。蒙古の波価格:1,365円(税込、送料別)北条時宗が執権、蒙古来襲の時代です。洛中の火価格:1,365円(税込、送料別)室町時代初期、楠木正成の時代。戦国の雲価格:1,575円(税込、送料別)戦国、織田信長の時代です。