喪失
最近、喪失が続いていると感じます。中田ひでの引退や、橋本元首相が亡くなられたことや。何かを失う時というのは、それまでそんなに思い入れがなくても、やはりショックを受けるものですね。失う、ということへの恐怖感というものは、普段は殆ど意識していないから。だから、失うなどと思ってもいなかったものを突然失うと、思っていた以上の衝撃を受ける。けれど、喪失することは、何も悪いことばかりではない。昔、親しい友人に言われたことがあります。私が、別の友人と喧嘩をして、殆ど絶好になりかけていたことを、とてもくよくよしていた時のこと。 良いじゃない、気にしない方が良いよ。 彼女はそう言いました。 本当に大切な人なら、失わない。でも、そうじゃないなら、それは必然なの。失いたくないなら、がんばってみれば良い。でも、仮に失ったとしても、落ち込むことはない。何かを失うということは、新しい何かが来ることの前触れなんだよ。だから、きっとその代わりに新しい何かを得られるということだから。楽しみに待っていたら と。その席が空く、ということは、次に誰かがその席に座る、ということ。必要なものは、なくならない。だから、これは喪失ではないのだ、と。昔、友人に言われた言葉を思い出しながら、ふと、そう気付きました。私達は、ひでを失うけれど、その代わりにきっと、新しい何かを得られるはず。今は一時的にその場所が空くけれど。すぐにまた、その場所は他の誰かが占めることになる。寂しがるよりも、引きずるよりも、もっと大切なことがあるはず。もっとも、私がそんな風にあっさり思えるのは、彼の存在価値を認めるほどには、彼を愛していないゆえかもしれませんが前園くんの時には、もっとじたばたしたしザイが辞めるなんてもしも言い出したら、絶対山形まで言って泣きながら引き止めちゃうと思うしイタリアの見事な試合を見て、改めて、ニッポンの現状に対する切迫感みたいなものを感じました。まだまだ、世界とはこんなに差がある。それを埋めるためには、エースの引退という荒療治も必要だったのかも。いずれにしても、新生ニッポンの誕生を、今は心待ちにしたいと思います。さて、我がガンバからは何人新監督の御眼鏡にかなうことでしょうか