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我思う、ゆえに我あり

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yukie_yo

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December 9, 2010
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カテゴリ:仕事
今週頭からの話に戻ろう。日本はアメリカの思想家がいうように、軍事的に強くなった方がいいか?という問いに。

日本が軍拡に走れば、地域軍拡競争がもっとひどくなる。すると、カネの続くまで付き合わないといけなくなる。

これって、国債が30兆円を超える高齢社会には大きな負担だ。中国にも負担だが、日中が共倒れになる可能性もある。実際、アメリカが軍拡競争にソ連をはめて、ソ連を破産させたはいいが、それは世界の最富裕国たち(特に日独)を味方にして資金援助をしてもらったから金が続いたのであって、同盟国がアメリカに資金注入を減らした20年後には、己も同じ道をたどりつつある。

なので、こんなやせ我慢大会は避けねばならない。同じことをすれば、東アジア以外の国を喜ばせる以外何物でもない。

じゃ、どうやって避けるか?

そこで、思い出してみたいのが、似たような状況が起きた幕末時代のこと。

この時代も、幕府側にはフランス、薩長勢にはイギリスがついていて、幕府と薩長が戦ったら、どちらが勝っても、両者とも弱体化して、外国勢のいいなりにならざるをえない状況となるところだった。

さて、江戸城の無血開城は有名だ。いきなり敵陣の中を勝海舟が一人で駕籠に乗って入り込んで敵方の将軍、西郷隆盛と直談判して無血開城が決まる、というところまでは知られているが、そうするまでに勝海舟が何をしたかはあまり知られていない。

勝海舟の本、氷川清話などを読むと、以下のことをしたとある。

まず、薩長の背後にいるイギリスと交渉する。それには、フランスとまず手を切った。その足で、イギリス公使パークスに会いに行く。このとき、パークスは薩長側だから、最初は会わなかったが、勝海舟が丸一日居座ったので、音を上げて会った。で、フランスと手を切ったので、イギリスと今後はお付き合いしたい、という話をする。

で、当然ながら、イギリスにすれば、幕府も薩長も自分の側についてくれれば、別に戦争を起こすことはない。なので、悪い話ではないぞ、と思い、勝海舟に勧められるままに、薩長勢に幕府と戦争するな、と口ぞえをする。

さらに、幕府の海軍を神戸に集中させる。薩長勢は日本の西の端の方から軍を出しているわけで、箱根辺りまでくれば、かなり長い兵站をしていることになる。なので、その真ん中辺りの神戸で兵站を切ってしまえば、東側にいる薩長勢はジリ貧である。

そして、ここまでやって西郷に無血開城を呑ませるように仕向けても、万が一西郷が攻めてくるといったときのために、もう一つ。江戸中のやくざ、火消し組の親分たちのところに全員会いに行って、自分が合図したら、江戸に火を放って、町民を安全に逃がしてほしいと頼んでおいた。これは、ナポレオンがモスクワに来たときにやった手だが、遠くからはるばる遠征したナポレオン軍にご飯も泊まるところも与えないで、戦意喪失させたという手法そのものだ。

そうしておいて、初めて勝海舟は西郷に会いに行く。

で、結果小競り合いはあったものの、幕府VS薩長勢大戦は避けられた。

別に幕府がつぶれたように日本を潰して中国を活かすという意味で使うわけじゃないが、信頼関係がしっかり築き上げられていない状態で、共倒れの危機を避けるには相当の努力を要するということ。

軍拡競争を避けるには地域軍縮機構を作って、日中韓朝の軍縮を進めるのが一番だが、勝海舟のような仕掛けを考えないといけない。

それはまた明日以降書きます。





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Last updated  December 9, 2010 03:32:23 PM
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