本日の夢
今日の夢も、実に変なものだった!それは、タレントのガクトのような人物と、昔の自宅で一夜を明かした全くもって、変な夢だった。ガクトははっきりいって、大嫌いな人物である。私は基本的に偉そうな態度の人物は大嫌いな性質であるからして、その大嫌いな人物と、古いお化け屋敷のような家屋に、閉じ込められ状態で、いわば野宿のような状態で一夜を明かすとは全くもって自己不信ならぬ、自己夢不信に陥る夢だったぞ! まぁ、恐らく、人生もこのような嫌いな人といかに付き合うかで、人情の深みができ、奥行きが深まり、要するに、修行ということなんだろうかねぇ? 嫌いな人物といえば、自己プロフィールで、尊敬する人物は、決まって書く欄があり、若いときの面接のときに聞かれる常套質問だが、嫌いな人物というのは、あまり書く欄がないといえる。人間に好き嫌いがあるうちは、まだまだ修行が足りないということなんだろう。 私の場合は、尊敬する人物は、勝海舟安房守と西郷南洲吉之助(隆盛)の御二方を、大体の場面で応えている。逆に例えば、嫌いな歴史上の人物は、井伊直弼、田沼意次、東条英機、昭和歴代の総理大臣が挙げられる。戦後歴代の総理大臣のうちで、比較的よかったのは原敬、田中角栄ぐらいだと思う。後はあまりに器が小さい人物が間違ってトップになってしまった感じである。 嫌いな歴史上の人物をみると、共通点は皆、表向きは、お国のためといいながら、結局は私服を肥やしていた私利私欲の人物であり、だからこそ、偏狭な愛国主義に走るのが多いいようにみえる。 はっきりいって、愛国主義に走るのは、自らの器量の小ささを表していると思われる。愛国主義が、エゴと重なっているだけである。本人だけが気がついていないのである。そして、なまじっか権力志向で権力を振りかざすことをある意味、本音は快感にし、建前は正当化しているので、性質に負えない。 そして、このような私利私欲人物が政権をとると、利己主義から、権力を振り回すので、庶民は圧政により不満爆発で、闘争的で競争的で、次は必ず、反動が来て、乱世となるのである。そこを、外国からつけねらわれるのである。 田沼意次は、賄賂政治の典型で、物質主義経済価値観から、評価される場合もあるが、これは全くの間違いである。江戸時代の武士階級を、形骸化してしまったといえるだろう。つまり武士の商人化を生んでしまった。武士のモラルが下がったのである。だから、松平定信が出て、極端な質素倹約の改革をしなければ、武士階級は、全く形骸化していたといえるだろう。 せっかく、吉宗が享保の改革をして、徳川家を建て直したのに、その後、全くその武士階級を、堕落させてしまい、後世の武士階級を破壊した人物とされるだろう。もはや、松平定信が出ても、もはや武士階級は堕落し、贅沢を知ってしまい、その欲望は抑えられずに、とくに旗本の形骸化が深刻化し、幕末の武士の体たらくを生む要因となったように思われる。 幕末の幕府側の武士をみれば、皆、百姓あがりであることに気づくだろう。新撰組の近藤、土方、農民だし、勝海舟にしても、祖父時代に、旗本株を買った経緯からなったわけだ。つまり、幕府側の武士階級はほとんど形骸化していたのである。それは何より大老、老中が、将軍を意のままに操り、傀儡し出して、将軍を政事から外し、女遊び等に追いやるから、大奥がまず、闘争の場と化し、世継ぎに問題が出てくる。だから、老中が独立せずに、将軍をしっかり補佐しないとダメで、幕府はお終いなのである。実際、田沼のせいでそうなったといえると私は思う。 井伊直弼の場合は、更に深刻である。この頃になると、将軍は、単なる置物と化してくる。安政の大獄で、随分と日本人の有能な人物が、一人の器量の小さいエゴイストにより殺されたのである。それは幕末まで遺恨として残された。井伊直弼が、劣等意識から、徳川家に拘らずに、広く島津や徳川斉昭がおす慶喜を、重要な職にでも就かせていたら、幕府は崩壊していなかったかもしれない。少なくとも国内の紛争は免れたように思われる。 安政の大獄がなければ、対外国との紛争から、日本の植民地化も、戊辰戦争の前に、未然に解決できていたかもしれないのである。 次の東条英機は言わんが如くであろう。ともかくこのような小器量がトップに就くと、その後の日本は植民地もしくは諸外国の奴隷国のようになってしまい。庶民は圧政に苦しむところは歴史がそれを証明しているといえるだろう。